おそらくは進歩という時間感覚自体に誤りがあったのだと、悔恨を込めて著者は述べている。革命前後に花開いたロシア・アヴァンギャルドの抽象芸術は、現在 という瞬間を過去の積み重ねから解き放つ点に意義があったものを、前衛党は「理想の未来」へと向かう直線的な時間の流れに押し込めて、弾圧したのである。 しかしそれは偽りの約束だから、やがては幻滅が待たざるを得ない。
円環をなす時間に託す、新しい形の希望と追憶
いま私が教える学生の世代には、むろん冷戦の記憶はない。今年の大学一年生の覚えている総理大臣は、「痛みに耐えて」の小泉純一郎氏から。「冷戦を知らない子供たち」には、自分の夢を社会の進歩という形で持つ契機が、たぶん、ない。
それはむしろ悪くないことかもしれないと、浅羽通明氏は『時間ループ物語論 成長しない時代を生きる』で示唆する。
特定の一日や、人生の一定の期間が繰り返されるというモチーフの作品は目下、小説からアニメまで数多い。同書は、かようなループ形式に託されてきた人間の思いとはなんだったのかを、世界の諸作品を博捜して探る試みだ。
快楽ないし苦痛がエンドレスで続くというモチーフは、仏教の輪廻転生やギリシャのシジフォス神話など無数にある。時間の流れが外界と隔絶した異世界があるという設定も、浦島伝説など民俗伝承の定番だ。
しかしそこに近代化に伴い、誰にとっても均質かつ不可逆的に前進する直線的な「時間」という、本来は人間の身体感覚にとって不自然なイメージが導入されたことで、かえって時間それ自体が巻き戻され繰り返す、タイムループの物語が生まれたというのが大雑把な見取図である。
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