明治の青春にもあった、「雲の下の坂」への哀切
時間ループもののひとつの典型は、当初は進歩なく繰り返される時間に充足していた登場人物が、人間的に成長することでループを破り、元の世界へ戻るという筋立てだ。
興味深いことに、明治の文豪でも軍医・官僚として活躍した森鴎外は、留学中の恋を単なる通過点とみなす『舞姫』のように、「直線的時間」を描くことが多かった。一方で、帝国大学の教職からドロップアウトした夏目漱石は、学生時代のモラトリアム感覚が抜けない主人公の『それから』をはじめとして、「円環的時間」の方をモチーフにしたという。
卒業後の立身出世という「将来の夢」のための経由地にすぎないはずの学園が、可能なら永遠に留まりたい「夢の追憶」の場として享受される逆説。近年のサブカルチャーに多く表出されるこの感覚は、石川啄木の『一握の砂』にさえみられると、浅羽氏は述べる。坂の上の雲をめざすよりも、雲の下の坂を愛おしむ感覚が、明治にもあったわけだ。
常にそうして振り返られる教室に通った季節を、社会に希望が満ちていた時代と一致させられた自分は、きっと恵まれていたのだと思う。進歩という形では歴史を語れない未来を生きながら、いつかその時抱いていた夢に、まためぐり逢いたい。
【初出:2013.10.5「週刊東洋経済(株・投信の攻め方、守り方)」】
※「歴史になる一歩手前」は今回が最終回です。1年間、ご愛読ありがとうございました!
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