「見た目外国人」の日本人親子を苦しめる誤解 日本人は「単一民族」だというのは幻想だ

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ベッシャーの母方の先祖は宗教的迫害から逃れてフランスからドイツ、そしてモスクワへの移り住んだ後にロシア正教に回教したプロテスタント教の人々だった。父方の先祖は17世紀にロシアからポーランド・リトアニア共和国あたりに住んでいたロシアの地主階級らしい。チュックの祖父母は、ロシア帝国崩壊後の迫害を逃れ、1917年仕事を求めて中国・ハルビンに移住した。それぞれが命からがら生き延びてそこにたどり着いたのだ。

彼の両親は1940年代にハルビンで出会った。中国極東部にあるハルビンには非常に多くのロシア帝国から移住してきた人々がいた。2人は結婚し、ベッシャーの2人の兄ミーシャとサーシャが生まれた。

ハルビンから横浜へ

ベッシャーの家族(写真:チュック・ベッシャー)

彼らはハルビン市のロシア人コミュニティ内に住み、ロシア語を話し、ロシア正教会に通っていた。ベッシャーの両親は時期によって中国のパスポート、満州のパスポートを持っていたが、自分たちを「ロシア難民」だと考えていた。

第2次世界大戦後、1949年に毛沢東率いる共産党が欧州から移住してきた人々の子孫を中国から追い出したとき、ベッシャーの両親と家族は、赤十字の旅券を持って難民としてハルビンを脱出した。

両親は2人の幼い子どもとベッシャーの祖母を連れ、持てるだけの身の回り品と貴重品をカバンやポケットに詰め込んで出発した。中国から香港へ行き、海を渡ってオーストラリアへ。そして4年をかけて1953年ついに横浜にたどり着いた。一家は神戸に落ち着き、10年後ベッシャーが生まれた。

ほかにうまい言い方もないのでベッシャーは、自分をロシア系日本人だと考えている。彼は2つの文化を持つ家族の中で育ち、両親、祖母、2人の兄にはロシア語で、姉、子守りのお手伝いさんには日本語で話した。だいたいにおいて彼はほかの日本人の少年たちと同じように育った。たとえば、彼は地元の仏教の幼稚園、公立小学校に通っていた。

しかしベッシャーは、ほかの子どもたちに完全に溶け込むことはなかった。たいていの場合、彼は日本人に親切に扱われたが、年上の子どもたちにいじめられたこともある。賢明だった母親は彼を地元警察の柔道教室に通わせ、自衛のすべ、礼儀、自尊心を身に付けさせた。

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