「見た目外国人」の日本人親子を苦しめる誤解 日本人は「単一民族」だというのは幻想だ
19世紀後半、時の支配者たちはもともと多様だった地方の人々を1つにまとめるために法律作りに取り掛かった。忠誠心の対象が1つである状態を作り出すために彼らは国籍法を作った。まさにこの法律により、無国籍の親から生まれたベッシャーやほかの子どもたちには日本国籍が与えられた。
現代の政策立案者は日本を「1国家、1文明、1言語、1文化、1民族」の国だと言い続けている。失言の多かった麻生太郎も2005年10月にそう言っている。このような神話は日本人の国民としての自尊心やアイデンティティを統合する源泉なのかもしれないが、穏やかに言うならば、あまりにも単純化しすぎだ。そして、ハッキリ言ってしまうとそれは対立をもたらすものである。
日本系日本人など存在しない
文部省 (現在の文部科学省)社会教育局は、1942年の文書の中で、日本を単一民族文化と考える神話についてより正確なところを述べている。要約すると、以下のとおりだ。日本はもともと単一民族の国家ではなく、「皇化(すめらぎ化)の過程で、「一つの民族」であるという強い信念を持つに至った。しかし、日本人は多くの民族――先住民族、大陸から移住してきた人々――が帰化し、融合した存在なのである。
実際、現在日本列島に住んでいるだれも「日本系日本人」ではない。ユーラシア大陸からの石器時代の狩猟採集民族は3万5000年ほど前の氷河期に日本に到達し始めた。そして北極南極の氷が解けて海抜が上昇し列島が大陸から分離した2万年ほど前まで陸伝いに徒歩で日本に渡ってきていたのである。また、船で台湾、沖縄、九州と連なる島々に沿ってやってきた人たちもいた。
嘆かわしいことに、人類はこのような広い見方を受け入れるほど進化していない。いまだに人を外見、話し方、振る舞いで判断して扱う。自分をあるグループに属するものと規定しようとし、ほかの人の正当性を否定しようとする。政治リーダーはあるグループの人々を結びつける語り方をし、時に乱暴にほかのグループを退ける。
ベッシャーは、息子ノアの問いに立ち返って彼の話を締めくくった。「パパ、ハーフってどういう意味? パパとママは両方日本人でしょ? 僕も日本人じゃないの? 僕は完全な日本人じゃないの? 」
少し考えた後、ベッシャーは答えた。「その子たちが『君はハーフなの』って尋ねてきたら、こう言いなさい。『君だってハーフだよ。みんなハーフさ。みんな半分はお母さんで半分はお父さんなんだから』」。
ベッシャーの答えは、真の地球市民である次の世代の人々に希望を与えるものだ。ベッシャーや彼の家族のような考え方をする人が十分に増えたら、たぶんいつか私たちはみんなジョン・レノンが彼の歌で想像したように平和に暮らせるはずだ。
(敬称略)
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