「パワースポット」、メディアの仕掛け人たち 精神世界の追求から、恋愛、癒しへと向かった
近年、〈スピリチュアル〉な旅先といえば、セドナやシャスタ山、あるいはハワイ・オアフ島などであるが、かつてはインドやチベットがポピュラーであった。1970年代、アメリカのカウンターカルチャーおよびニューエイジの潮流と連関して、インドやチベットは、「近代日本」「(西洋の)物質主義」の対極をなす「アジア的伝統」「東洋の知恵」「神秘」として再発見され、エキゾチックな世界として表象された。
当時のインド旅行を知る代表的著作に、横尾忠則『インドへ』(文藝春秋、1977年)がある。横尾が旅に求めたのは、本来のアジアの精神性、神秘的な東洋、自己の狭い限界から自身を解放して超越的存在と一体となるセラピーであった。
また、インドが「東洋の原故郷」とイメージされたこの頃、地方が「日本の原風景」として再発見される。それは近代社会における物質主義、環境破壊、アイデンティティの喪失に対抗する、「本来の日本」の希求という時代精神とみなされた。実際、国鉄のキャンペーンは象徴的であった。1970年代の「ディスカバー・ジャパン」では美しい日本と私を発見する旅が、1980年代の「エキゾチック・ジャパン」では高野山でインドの神々と出会うエキゾチックな旅が、提案・商品化された。
1986年、「パワースポット」が流行語に
宗教人類学者の中沢新一と、ミュージシャンの細野晴臣の対談を収めた『観光』(角川書店、1985年)は、インド・チベットへの旅に端を発するパワースポット形成史において重要な著作である。中沢は、オルタナティブカルチャーの古典と評されるドン・ファンシリーズ(米国の人類学者カルロス・カスタネダが呪術師ドン・ファン・マトゥスに師事し、ヤキ・インディアンの呪術を教わる『呪術師と私―ドン・ファンの教え』にはじまる一連の作品)に影響を受け、チベット仏教を体験した。
細野晴臣は、横尾忠則とともにインドを旅し、密教に強い関心を抱いていた。中沢と細野は、天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ)、戸隠(とがくし)神社、六本木のカフェバー、大山阿夫利(おおやまあふり)神社、豊川稲荷、伊勢神宮、北口本宮富士浅間(きたぐちほんぐうふじせんげん)神社へ赴き、語り合う。風水における龍脈と気功における経脈から導かれる宗教的空間を論じ、ニューサイエンスの教説が反響するフラクタル理論に言及する。2人から「パワースポット」という言葉が発せられることはないが、パワースポットのイメージを構成するアイディアが展開されていた。
翌1986年、「パワースポット」が、新語・流行語を収録する年刊用語辞典『現代用語の基礎知識』(自由国民社)に収録される。宗教学者の脇本平也(わきもとつねや)は、以下のように解説した。
パワースポット(power spot) 宇宙の精気や霊力の凝集する聖地。宗教的世界観によれば、宇宙は決して等質的・無性格的に広がっている物理的空間ではなくて、意味によって構造化された聖なる中心をもつコスモスである。その中心に向かって力は収斂(しゅうれん)し、その中心から力は放射する。それは、意味のわき出てくる源泉としての聖なるトポス(場)であり、大地のへそとも呼ばれる。このような宗教的空間論から、聖地の観念や巡礼の修行などがさまざまな形で生まれてくる。最近、とくにミュージシャンを中心とする若いアーティストの間で、奈良県吉野郡天川村の天河大弁財天社が、宇宙との交信の霊感を授けられるパワースポットとしてもてはやされているという。四国をはじめとする各地の巡礼や寺社めぐりなども、いまや単なる観光旅行にはあきたらぬ人々の心を引きつけているようである。(『現代用語の基礎知識』自由国民社)。
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