新聞と戦争 朝日新聞「新聞と戦争」取材班著 ~巨大な既成事実を前に新聞はどうあるべきか

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新聞と戦争 朝日新聞「新聞と戦争」取材班著 ~巨大な既成事実を前に新聞はどうあるべきか

評者 学習院大学法学部教授 野中尚人

なぜあのような悲惨な戦争にのめり込んだのか。そこで朝日新聞が果たした役割はいったい何だったのか。本書は、戦争と新聞(社)をめぐる問題に、朝日新聞自身が正面から向き合った成果である。「8月15日」のありさま、植民地での様子、戦場での記者たち、写真報道と飛行機の登場、満州開拓団、南京事件、女性の動員など、実にさまざまなテーマが500ページ以上にわたってわかりやすい言葉で語られている。
 
 評者にとって特に興味深かったのは、朝日新聞の社論の転換である。それまでの自由主義的な国際協調路線を捨て、軍部への協力と国民の戦争への動員に転換したのは、いつ、そしてなぜだったのか。

それは、1931年9月18日の満州事変勃発をきっかけとしていた。22日の閣議での事後承諾、天皇自身の追認という状況の中で、右翼や軍部からの圧力はむろん、一部軍も加担した不買運動や、逆に販売市場としての満州への期待、孤立への恐怖、そして朝日自体の取材体制の問題とトップの判断、「満蒙権益」擁護という従来からの社論の限界など、実にさまざまな要因が関わっていたことが跡づけられている。いずれにしても、10月には社論が大転換され、わずか3カ月後には、出先軍部から要請された「対外宣伝」への協力に乗り出すまでになっていた。こうして、「新聞報道が世論をあおり、沸いた世論が、新聞を引っ張る。螺旋的な相互作用が動き始めた」のである。

国の運命をかけた戦争。その巨大な既成事実を前にして、新聞はどうあるべきか。会社としても、個々の記者としても、矛盾と葛藤に苦しんだ姿があった。同時に、軍部に協力し、食い込むことによって情報を入手し、他社との競争を勝ち抜くという論理も厳然と存在した。しかし、何といっても深刻な意味を持ったのは検閲である。軍という究極の暴力組織による検閲は、結局、議会と政党政治を死滅させただけでなく、言論機関から自由を奪い、国民を戦争の熱狂へと駆り立てる道具に変えてしまったのである。

戦争の一つの側面は、言うまでもなく、国家という巨大な権力組織がその統制下にあるすべての国民を巻き込んで力と力で争うことである。しかしもう一つ重要なことは、多くの場合、「敵」を作り出し、それに対する反感や憎悪を弄ぶという行動の行く末、それが戦争だということである。過激で非理性的で一方的な非難や中傷がインターネット上で飛び交う昨今の状況を見るにつけ、戦争は決して過去のものではない。本書はジャーナリズムのあり方とともに、そのことも思い出させてくれる。

朝日新聞出版 2415円/580ページ

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