2度の調査でも、檜山地方7町のうち、日本海に浮かぶ奥尻町、ジャガイモ・メークイン種の国内発祥の地である厚沢部町(あっさぶちょう)、男爵芋のブランド産地・今金町(いまかねちょう)、バリアフリー観光に力を入れる乙部町(おとべちょう)、奥尻島とのフェリー航路がある、せたな町には足が届かなかった。
それでも、講演の場を通じて、それぞれの町が、独自の文化や自然環境、産業を生かしているエピソードを聞き、人口減少と高齢化に向き合っている様子を感じ取ることができた。檜山振興局の松田さんは「食と観光の力で幸せな社会ができるよう、つながりを大切にしていきたい。その仕組みづくりを手伝いたい」と力を込める。
縄文の遺物が示す東北とのつながり
8月の調査時は、やはり未踏だった函館市の東部から、駒ヶ岳山麓の鹿部町(しかべちょう)、イカめしで知られる森町(もりまち)、リゾート地・大沼などを抱える七飯町(ななえちょう)を走った。
函館市東部はかつて、津軽海峡マグロで知名度が上がった戸井町(といちょう)、活火山・恵山をいただく恵山町(えさんちょう)、海浜・温泉に恵まれた椴法華村(とどほっけむら)、北海道唯一の国宝「中空(ちゅうくう)土偶」が出土した南茅部町(みなみかやべちょう)から成っていた。しかし、急速に進む人口減少などを背景に2004年、函館市に編入された。
それから13年、旧町村のイメージはやや薄れつつあるが、青森県側の大間崎や尻屋崎、津軽半島、さらに函館山、松前地域の山々と海岸線が織りなす景観は、檜山地方とは異なる磁力を感じさせた。特に、南茅部地区の函館市縄文文化交流センターは「日本で唯一、国宝が見られる道の駅」をうたう「道の駅縄文ロマン 南かやべ」を併設し、高台から望む遺跡と水平線が印象的だった。それだけに、旧町村名が持つブランド力を、まだまだ生かせる気がした。
道南一帯は、考古学的には、青森県など東北北部と文化圏を共有する時期が長かった。江差町で見た縄文時代の遺物の多くは、函館市東部の遺跡や、特別史跡・三内丸山遺跡など青森県内の遺跡の遺物と似通っている。歴史的にみても、海路は陸路よりも長い間、より太く、広い地域を結んでいた。北海道新幹線は、どれだけの結び付きを、どのような地域に生み出せるか。数千年の時を超えて、問いかけられている気がした。
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