北海道新幹線は「海路が生んだ絆」を超えるか

北前船で全国とつながっていた「道南」の今

6月上旬の調査時は、北海道新幹線で木古内駅に降り立ち、日本最北の城下町・松前町へ向かった。車窓越しに真っ青な空が広がり、津軽海峡の潮騒とエゾハルゼミの鳴き声が響く。何げない「色彩」と「音」もまた大切な観光資源だとあらためて気づかされた。途中の知内町には、神秘的な青い海面を抱く「青の洞窟」などを楽しめるクルーズ企画が開発されていた。青函トンネル建設工事の拠点だった福島町には、青函トンネル記念館が立ち、展示も充実している。ただ、平日午後とあって人影はまばらだった。

松前町の商店街は、金融機関や郵便局も含め、城下町の風情を再現した店舗が並んでいた。人口約7700人の町としては、丹念に景観を整えた様子に軽い驚きを覚えた。日本海沿いに国道228号を北上し、北隣の上ノ国町(かみのくにちょう)へ。松前町までが渡島地方、そして檜山地方の入り口が上ノ国町だ。

上ノ国町のサイトによれば15世紀ごろ、道南の日本海側が「上之国」、太平洋側が「下之国」と呼ばれ、同町中心部が江差、箱館(当時の表記)と並ぶ日本海・北方交易の拠点だった。町名はこの歴史に由来する。また、中心部を流れる川は「天の川」の名を持つ。「かみのくに」と「あまのがわ」という名前だけでも、何かの物語が立ち上がりそうだ。

「北前船」で全国とつながった街

江差や上ノ国、松前は、特に江戸時代から明治にかけて「北前船」によって強く全国とつながっていた。特産のニシン、昆布などの食材は、北陸や近畿の食文化に大きな影響を及ぼしている。明治半ばに鉄道網が日本を覆うまで、北前船は日本海沿岸を結ぶ海の大動脈として活躍し、生活必需品や上方の文化を蝦夷地へ、北海道へ運んだ。今年4月には、北前船に関する2件・12市町の街並みや文化財が、「日本遺産」に認定された。

江戸幕府軍の主力艦だった開陽丸の復元船。江差沖で座礁・沈没した=2017年6月(筆者撮影)

このときの調査は、江差町にたどり着いたところで時間切れとなり、夕暮れの江差港に浮かぶ復元船「開陽丸」をカメラに収めただけで、木古内町へ戻らなければならなかった。幕末にオランダで建造、1867(慶応3)年に江戸幕府へ引き渡され、翌1868(明治元)年3月には最後の将軍・徳川慶喜を大坂城から江戸城へ運んだ船だ。

その後、幕臣・榎本武揚らが蝦夷地での独立を目指して脱走した際、開陽丸はいわば旗艦を務めたが、同年11月、暴風雪のため江差沖で座礁、沈没した。やがて開陽丸は「海中遺跡」として光が当たり、1974(昭和47)年に始まった調査と遺物引き揚げは、日本の水中考古学の端緒となった。

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