奨学金の借金1100万円、早大生の貧困と苦悩 通い続けるべきか、それとも中退して働くか

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住まいは古くて狭い市営住宅。小学校高学年になり、自宅に遊びに来た友達から、親子の主な居住スペースだった6畳ほどの居間を「ここ、お前の部屋?」と問われ、初めて「うちは貧乏なんだ」と自覚したという。中学校では、部費が高いという理由で、あこがれていた吹奏楽部への入部をあきらめた。

タクマさんは子ども時代のことをこう振り返る。

「保育園で熱を出すたびに、先生に病院へ連れていかれるんです。それが嫌でたまらなかった。病院代がかかると、母親が困るとわかっていたから。母親はいつも心配して駆けつけてくれましたが、僕は心の中で“熱を出してごめんなさい”という気持ちでいっぱいでした。家の冷蔵庫には、(訪問販売で)買い取りさせられた商品がたくさん入っていたこともよく覚えています。その販売会社からは今も支払いの督促状が届きます」

大学進学のため塾に行きたかったが…

一方で学校の成績は抜群に優秀だった。小、中学校ではつねに学年で3番以内。中学時代、塾では特待生を通し、月謝は通常の4分の1の1万数千円で済んだ。高校は公立の進学校に合格した。しかし、半年足らずで中退。原因はやはり「おカネ」だった。

高校ではクラスメートのほとんどが大学進学を目指して塾に通っていたため、自分も塾に行きたいと言ったところ、母親からとても費用を工面できないと告げられたのだ。大手私塾の授業料は中学とは比べものならないほど高額だった。アルバイトは原則禁止。初めて怒鳴り合いの言い争いになり、普段「いい大学に行ってほしい」と話していた母親が「そこまでおカネをかけないといけないなら、大学なんて……」と口走ったという。

勉強を頑張ったのは、ひとえに母親が喜んでくれるからだったと、タクマさんは言う。「“大学なんて”と言われ、張り詰めてきた糸が切れてしまったというか……。“こんなんじゃ、いい大学なんて行けるはずがない”と、ふてくされてしまったんです」。

このとき、母親は珍しく父親のことを持ち出してタクマさんを責めた。曰(いわ)く「お父さんも高校中退。あなたも同じことをするの? どうして私がいちばん嫌なことをするの?」。

父親について、タクマさんは「最初から存在しない人。何の期待もありません」と淡々と語る。一度だけ、高校の入学金が捻出できなかったときに支援を頼もうと、所在や近況を確かめたことがあるが、すでに再婚して新たに子どもがいることが分かり、連絡を取るのはやめたという。会いたいとさえ思ったことのなかった父親と同じだと非難されたことはこたえたが、結局、そんな母親に反抗するように高校を辞めた。

その後はアルバイトなどをしながら、高校進学の際に借りた奨学金を返済。20歳近くになり、同世代の友人らが大学に進む姿を見て、ようやく自分でも大学で勉強をしたいと思うようになった。もとより母親と祖母が進学を切望していることは知っていた。予備校で成績優秀者を対象にした授業料の減額制度を利用しながら勉強して大学に合格。地元の大学も合格圏内だったが、年齢的に自分と同世代の学生も多いと思われる東京の大学を選んだ。

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