起業して躓いた躁うつ病37歳男性が語る悔恨 「絶好調な自分」は病気のせいだった

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社会の関心の低さや理不尽な制度の下、再び独り立ちできるのかとの不安も尽きない。

以前、障害者総合支援法に定められ、補助金を受けた企業などが運営する「就労継続支援A型事業所」で働いたときも、給与は最低賃金水準で、障害者の自立というよりも、安価な下請け業者として利用されている印象を受けた。一般企業の採用においても、知的・身体障害者に比べて安定就労が難しい精神障害者は敬遠されがちで、当事者会のあるメンバーは100社以上応募しても、非正規雇用の仕事しかないと嘆いていたという。

「いったん双極性障害になると、自立して家庭を持ちたくても現実には難しい。僕には受け入れてくれる両親がいたので貧困に陥ることはありませんでしたが、そうでなければ、生活保護に行くしかなかったと思います」と、福祉制度や社会の仕組みの貧しさを指摘する。

一瞬たりとも気は抜けない

ヨシマサさんは自身の障害についてこんなふうに語る。「普通、病気は元気になったら喜びますよね。でも僕らはまず躁を疑います。調子がよくなっても、“やばいな”と思わなければいけないんです」。

一瞬たりとも気を抜かず、自らの精神状態をうかがうようにして生きる。その過酷さは、私には想像できない。それでも、彼がいつか自立したいと願うのは、息子と両親のためだ。

現在、3歳になる息子との面会は3カ月に1度。往復の交通費だけで数万円かかるので、両親の庇護の下で暮らしているからできる「ぜいたく」だとわかっているが、「僕のことを忘れてほしくない。だから、小さい頃はできるだけ会っておきたいんです」と言う。

公園で弁当を食べたり、ホームで列車を眺めたり、デジカメで写真を撮り合ったり――。生後数カ月で別れたにもかかわらず、息子はヨシマサさんを見るとすぐに「お父さん」と呼んでくれる。彼は「別れた妻が普段から僕のことを“お父さん”と呼んで話をしてくれているからだと思います」と感謝する。

幸せそうに息子の成長ぶりを話していたヨシマサさんが、両親の話になると一転して涙で言葉を詰まらせた。

「精神的にボロボロの状態で、(地方から)千葉に戻りたいと電話したとき、父は“ここは君の家でもあるんだから、いつでも帰ってきていいんだよ”と言ってくれました。マンションを妻側に渡すことは、(費用を負担した)両親は反対していたのですが、実家に戻った僕が謝ると、父は“ああ、そんなのいいよ。気にすんな”と言っただけでした。母はどこで勉強してきたのか、双極性障害のことをよく知っていて、僕よりも敏感に躁の兆候に気づいて、注意をしてくれます。

僕は一人っ子です。両親はたくさんおカネをかけてくれたのに、何一つ返せていない。いつか親孝行がしたいんです。そのために何度でも、何にでも挑戦したい」

ヨシマサさんに話を聞いたのは、ファミリーレストラン。ランチ時のにぎわいの中、途切れ途切れの涙声が不思議と力強く聞こえた。

本連載「ボクらは「貧困強制社会」を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。
藤田 和恵 ジャーナリスト

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ふじた かずえ / Kazue Fujita

1970年、東京生まれ。北海道新聞社会部記者を経て2006年よりフリーに。事件、労働、福祉問題を中心に取材活動を行う。著書に『民営化という名の労働破壊』(大月書店)、『ルポ 労働格差とポピュリズム 大阪で起きていること』(岩波ブックレット)ほか。

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