双極性障害と診断されてから4年。取材で会ったヨシマサさんは如才なく、物腰も落ち着いて見えた。実際にはこの間、起業に失敗して離婚を経験。現在はアルバイトなどをしては、数カ月でうつ状態になって辞めるという繰り返しで、年収は50万円に届かない。両親と同居し、何とか生活しているという。
高校卒業後、希望していた地方の国立大学に進学、千葉の実家を離れた。その後、アルバイト先や学校、会社で人間関係をこじらせてはうつ状態に陥った。きっかけは教授の高圧的な態度や上司の理不尽な言動だったが、それらは大人ならば誰もが経験するたぐいの出来事に見えたし、そのことはヨシマサさんもわかっている。そのうえで、気持ちを切り替え、忘れることが、自分にはできないのだ、と彼は言う。
20代前半でうつ病と診断。一方で、正社員として就職し、病気を受け入れてくれる女性と結婚もし、大学のある地方都市で暮らし続けた。このときは通院と服薬により、うつ病とうまく付き合っていけると思っていたという。
アイデアが次々に浮かんでくる!
歯車が狂い始めたきっかけは、ヨシマサさんが突然、起業すると言い出したことだ。夫婦共に30代に入り、そろそろ子どもをつくろうと、不妊治療を始めた矢先のことでもあり、妻からも、義父母からも猛反対された。にもかかわらず、勝手に会社を退職。妻には「今日、会社を辞めてきた」と事後報告した。彼は当時の心境をこう振り返る。
「いろいろなアイデアが次々に浮かんでくるんです。絶好調で活力に満ちた姿。それが本当の自分だと信じていました。“妻も彼女の両親も何でわかってくれないんだ”“周りはバカばっかりだ”。そんな考えが態度ににじみ出ていたと思います。今思うと、これが初めての躁状態だったんです」
口論になった妻から、子づくりを先延ばしにしてきたのはヨシマサさんの病気が原因でもあったと責められ、「(自分のうつ状態を支えてくれたのは)あなたが酔狂なだけ。好きでやったことでしょう」と言い返してしまった。
ヨシマサさんは「その場の空気が凍りついた気がしました。うつのときも共働きで支えてくれた彼女になんてことを言ってしまったのか。今は後悔しかありません」とうなだれる。
会社は立ち上げたが、直後にひどいうつ状態に入り、1年で廃業。起業資金約100万円を失った。双極性障害と診断されたのはこの頃。そして、家庭では、念願の子どもが生まれたが、その直後に妻から離婚を切り出された。
「ある日、突然、離婚したいと言われたんです。理由を尋ねると、“朝一番で子どもの顔を見にいかなかったからだ”と言われました。うつのときはとにかく自分のことでいっぱい、いっぱいで……。確かに朝起きて子どもの顔を見る前にトイレに行ったことがありました。でも、離婚の理由はそれだけじゃない。彼女が我慢に我慢を重ねて出した結論だとわかっていました」
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