乙武洋匡が見たガザ、そこに生きる人の苦悩 選べない境遇の違いが大きな隔たりとなる
今回の訪問で、ガザに多くの友人ができた。
「ガザにはいつまでいるの?」
「次はいつガザに来るの?」
彼らとの会話の中でよく聞かれた質問だ。ガザにはあと数日滞在すること、そのあとはエルサレムに行く予定であることを伝えると、彼らは決まって言葉にならない呻き声をあげ、そして目を潤ませた。彼らイスラム教徒にとって、聖地エルサレムは特別な場所。私たち日本人の想像をはるかに超えた感情がある。
彼らがエルサレムに行くには、敵国であるイスラエルの許可を得なければならない。どんなにおカネを貯め、どんなに時間を確保し、そしてどんなに強く願っても、彼らがエルサレムに行くことは、ほぼ不可能だ。しかし、私たちにはそれが許されている。イスラム教徒である彼らほどエルサレムに特別な思いを抱いているわけではない私たち日本人は、渡航費と休暇さえ確保すれば、何の制限を受けることもなく彼の地を訪れることができる。
私たちを大きく隔ててしまっているもの
この両者の間に存在する違いを、どのように受け止めたらいいのだろう。私はそれまでガザで過ごした数日間を振り返った。下水の臭いが漂う難民キャンプ。良質な漁港でありながら仕事を奪われている漁師たち。1日2〜4時間しか電気が使えない生活。そして、いつ再開されるかわからない空爆の恐怖――。
こうした日常のなかで暮らす彼らと私たちの間には、いったいどんな違いがあるというのだろう。なぜ彼らは過酷な運命とともに生きることを余儀なくされ、なぜ私たちは平和と安全を享受することができているのだろう。なぜ彼らはガザに生まれ、なぜ私たちは日本に生まれたのだろう。
それは、彼らへの同情とも違った。「私は日本人でよかった」という優越感とも紙一重の安堵感とも違った。言うなれば、自ら選んだわけでもない境遇の違いが、理不尽にも私たちを大きく隔ててしまっているという厳然たる事実にあらためて打ちのめされ、そして誰にぶつけるでもない憤りを胸の内に感じていたのだ。
彼らから、「絶対にエルサレムの写真を撮って送ってね」と懇願された私は、深く頷きながらも、どんな表情を浮かべていればいいのかわからずにいた。
生まれには、あらがえない。確かに、そうかもしれない。どの国に、どの人種として生を受けるのかを、私たちは選ぶことができない。また、障害者として生まれるのか、そうでない人として生まれるのか、LGBTとして生まれるのか、そうでない人として生まれるのか、貧しい家庭に生まれるのか、そうでない家庭に生まれるのかも、同様に選ぶことができない。
しかし、どんな境遇で生まれようとも、同じだけの自由が与えられ、同じだけのチャンスが与えられる社会を築いていくことならできるはずだ。きれい事だと言われるかもしれない。そんな社会を実現することなど不可能だと言われるかもしれない。しかし、「だから、あきらめろ」という社会に、私は生きたくない。
海を越え、壁を越えても、結局は日本にいるときと同じ思いを胸に刻むこととなった。
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