乙武洋匡が見たガザ、そこに生きる人の苦悩 選べない境遇の違いが大きな隔たりとなる
夕食は、招待を受けた。イスマイル・マシャハラウィさんは、測量をはじめさまざまな事業を手掛けるガザ随一の実業家。長女のマジドさんがビジネスコンテストに参加したご縁から、「ぜひとも日本人の皆さんをもてなしたい」と私たち一行に声をかけてくださった。
ガザの定番料理でおもてなし
約束の夕方6時に指定された場所に向かうと、鉄筋6階建ての大邸宅。ありがたいことにエレベーターまでついている。1階と2階には家族が住み、3階と4階の部屋は国連職員などに貸し出しているのだという。庭先にずらりと国連車が停まっているのも、そのためだ。
妻のフトゥナさんが腕によりをかけてくれた料理は絶品だった。ガザの定番料理であるモロヘイヤのスープに、中にスパイスで味付けした米をぎっしり詰めたチキンの丸焼き。そこに自家製のヨーグルトをたっぷりとかけて食べると、これまでに味わったことのないおいしさが口いっぱいに広がった。
これだけでもお腹がはちきれそうになったが、食後には中東の定番スイーツであるクナーファやフルーツの盛り合わせまで用意してくださっていて、私たちはこれだけの量をどうやって胃袋に押し込もうかとうれしい悲鳴をあげた。大学で建築を専攻する次女のカリマンさんは、一生懸命に覚えたという日本語で、「オチャ、ノミマスカ?」と聞いてくれ、私たちを驚かせた。
一人ひとりが高い教育を受けているため、ガザではめずらしく家族全員が流暢な英語を話す。英語を苦手とする私が、もっとゆっくり話してほしいと頼み込むほどだった。それだけに、食事中もガザの話や日本の話、そして今回のビジネスコンテストの話など、さまざまな話題に花が咲いた。
何の前触れもなく目の前が真っ暗になったのは、そんな最中だった。「キャッ」と日本人の女性スタッフが短い悲鳴をあげる。一家の主人であるイスマイルさんは暗闇のなかで立ち上がり、慣れた様子で壁際まで歩いていくと、何事もなかったかのようにブレーカーを作動させた。電気が灯る。私たち日本人の間に、安堵の空気が流れた。
ガザでは慢性的に電力が不足しており、1日に電気が供給されるのは2〜4時間のみ。それ以外の時間帯では、電気のない生活を余儀なくされている。イスマイル家のような裕福な家庭では自宅にジェネレーターを有しており、電気とジェネレーターが切り替わる瞬間に必ずブレーカーが落ちるのだという。
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