乙武洋匡が見たガザ、そこに生きる人の苦悩 選べない境遇の違いが大きな隔たりとなる
紛争地域というイメージがあまりに先行していることで忘れられがちだが、ガザは地中海に面した絶好の土地。野菜やフルーツの栽培に適しており、どちらも忘れられなくなるほどにおいしい。だが、“ガザ産”の農産物の輸出は厳しく制限されているうえ、イスラエル産の農産物が大量に流入してくるため、彼らはタダ同然の価格でたたき売るしかない現状がある。
路地裏で出会った子どもたち
スークを抜けてしばらく歩くと、路地裏に迷い込んだ。どこからともなく現れた子どもたち。最初のうちこそ私のことを遠巻きに見ていたが、しだいにその距離は縮まっていく。舗装などされていない悪路。車いすの前輪を取られ、往生していると、彼らが駆け寄ってきて手伝ってくれた。
「シュクラン(ありがとう)」
「サラマリコン(こんにちは)」の次に覚えたアラビア語を口にすると、子どもたちがわっと湧いた。「アラビア語を話せるの?」と聞いてきているのだろうか。車いすを取り囲んで、あれこれと話しかけてきたが、こちらはその2つの言葉しかアラビア語を理解できない。彼らも英語ができるわけではなく、お互いこれ以上会話をすることは難しかった。
それでも彼らは満足げに後をついてくる。ほかに何かコミュニケーションを取る方法はないかと試しにカメラを向けてみると、元気の良さそうな男の子2人組が得意げにポーズを取る。それを見たほかの子どもたちが、「今度は僕も」「次は俺だ」と言わんばかりにカメラに群がった。
ガザでは人口が増え続けており、小学校〜中学校に通う年齢の子どもたちだけでも毎年1万人以上が増加しているという。そのため新しい学校を建てなければならないのだが、すでに人口は過密状態にあり、建設できる土地を見つけることが容易ではない。それでもすべての子どもが教育を受けられるよう、ほとんどの学校が2部制や3部制を採用しているのだという。
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