堤大介氏が高校生に説く「why?」の重要性 世界的イラストレーターが半生を語った

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「ずっと野球をやってきた小学校、中学、高校時代。当然、目指していたのは甲子園でしたが、それはかなわず、受験勉強もしていない状態で高校3年の秋を迎えました。野球というやりたいことがなくなり、先が見えなくなっていたのです」

そしてニューヨークで通っていた短大で絵画に目覚め、アートの道に進み始めた。

「自分にとって、高校時代まで情熱を傾けていたのは野球でしたが、それがなくなって、次に情熱の対象となったのが、絵でした。英語ができなくても受講できる絵画のクラスで、ものすごく褒められたのがきっかけで、それ以来、まるで甲子園を目指して野球に打ち込んでいたときのように、絵を描くことに打ち込み始めました。後から聞けば、先生はクラスのみんなを褒めていたそうですが……」

アートとアニメーションの仕事は、野球で培ったチームワークと絵を描くことを融合させた姿だったという。ピクサーに移ってからは、ほかのスタジオとは違い、「思いっきり作品に情熱を傾けてもいい場所」であることがありがたかったという。

ほかのスタジオでは「やりすぎ」は是とされなかったというから、日本も米国も、出るくいは打たれる環境があることには変わりないようだ。

whatは突然なくなるかもしれない

1冊のスケッチブックが世界中のアーティストの間を旅した「スケッチトラベル」。最後のアーティストは宮崎駿氏で、その収益はチャリティーとして、途上国の図書館建設に生かされた(筆者撮影)

堤氏は、『ダム・キーパー』をきっかけにピクサーを辞め、独立した。大好きな絵を描くことを最高の環境であるピクサーで仕事として続け、非常に満足していた30代が終わろうとしていたとき、「なぜ絵を描くんだろう」という気持ちが芽生え、しだいに大きくなっていったからだという。

何をしたいか、つまり「What」は、突然なくなることもある。堤氏は、甲子園に行けなかったことで、野球という目的がなくなる状況に、高校3年生で突然、襲われた。同時にピクサー時代、絵を描くという目的が、「Why」に変わるという形で、突然、目的ではなくなってしまう経験もまた、堤氏に訪れたのだ。

「スケッチトラベルで、尊敬する大好きなアニメーション作家で『木を植えた男』でも有名なフレデリック・バックさんに会いに行ったとき、当時86歳だった彼が“才能は、世の中に光を照らすためにある”と話してくれました。そこで、「なぜ?」という問いかけに対して、「世の中に光を照らしたい」という理由を見いだし、再び新しい形でアニメーションへの情熱を傾けられるようになったのです」

バック氏の言葉は、アニメーション制作にかかわるという目的からすれば、最高の環境であるピクサーを辞めて新しいチャレンジをしようと踏み切る決心をする、堤氏にとっての金言となった。

堤氏は「箱の中に当てはめて考えるのをやめよう」と話す。つねに「なぜ?」と問い続けることが、次に進む道をいろいろな方法から導き出すきっかけになる、と語りかけた。

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