全盲の夫婦が築く「見えなくても」明るい家庭 2人で越えた難関の司法試験、結婚、妊娠・出産
そんな亜矢子さんにとって、選びづらい調味料は
「いちばん困るのがドレッシング!ドレッシングの“ドレ”って点字で書いてあるんだけど、何の味かが分からない。じゃあどうしていくかというと、私が大好きなレモンのドレッシングには輪ゴムを付けています。(日常使うドレッシングは)あと2種類あるんだけど、最終的には蓋を開けて匂いを嗅ぎます(笑)。そうやって、いろいろ工夫しているわけです」(亜矢子さん)
洗濯にも亜矢子さんなりの工夫がある。ちらかり易い靴下は、1つにまとめてから洗濯カゴへ。亜矢子さんが決めた家族のルールは、安全ピンで留めて洗濯して干すこと。「そうするとバラバラにならない」(亜矢子さん)。安全ピンを付けたまま干された靴下は、しまう時に外して整理される。
目の見えない両親を気遣う子どもたち
子どもたちも、幼いなりに両親の目が見えないことを理解しているようだ。今年小学校に上がったばかりの長女・心(こころ)ちゃんは
「お肉ないかな」(亜矢子さん)
「しらたき取れてないよ」(心ちゃん)
「だってあんまり取るなって言ったじゃん」(亜矢子さん)
やんちゃ盛りの長男・響(ひびき)くんも、自分が使った踏み台をパパのために脇へ寄せる気遣い。明るく穏やかな家族の日々。しかし、これまでの道のりにはさまざまな出来事があった。
亜矢子さんは静岡県出身。生まれながらに目が見えない亜矢子さんが、幼い頃から興味を引かれたのは音楽。歌手になることを夢見て、武蔵野音大の声楽科を卒業。見事、プロの歌手になった。
一方、2歳年下の誠さんも、妻と同じく静岡生まれ。幼い頃は目が見えていたものの、先天性の緑内障が進行し12歳で失明。完全に視力を失った。その絶望から立ち直るきっかけとなったのが1冊の本。
「ぶつかって、ぶつかって」
著者の竹下義樹(よしき)さんは日本で初めて全盲で弁護士になった人物。さまざまな苦難にぶつかりながら、点字の六法全書の作成に尽力するなど新たな道を切り開いたパイオニア。その生き様に感銘を受けた誠さんは弁護士を目指すことを決意する。
とはいえ、その道はやはり険しいものだった。ただでさえ超難関の司法試験。これを点字にすると、とてつもない量になる。誠さんは試験に何度失敗しても、めげずに夢を追い続けた。
そんな誠さんに、亜矢子さんが出会ったのは26歳の時。すでにプロの声楽家として活動していた亜矢子さんが地元・静岡で開いたコンサートに、誠さんが手伝いに来たのがきっかけだった。
「話している雰囲気と声と人柄に惹かれたんですね。いろいろと相談に乗ったりしているうちに、そういうことになってですね(笑)」(亜矢子さん)
亜矢子さんのアプローチで交際を始めた二人。そして交際から5年。29歳となった誠さんは5回目の挑戦で司法試験に合格。努力と共に歩んだ誠さんの半生は、後に書籍化され大きな反響を呼んだ。そして、ほどなくして2人は結婚。誠さん33歳、亜矢子さんは35歳だった。
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