阿久悠――闇の中の光を歌う、異才の作詞家 戦後日本の大衆文化に一時代を画した革新者
1970年という戦後日本社会の分岐点に、阿久悠は「迷い子になりそうな人間」という、独自の歌づくりのテーマを発見する。「歌は、狂気の伝達だと思うんだがな」と自伝小説『無名時代』(1992年、集英社)の中で主人公芥洋介に言わしめた阿久悠の想念が、暗闇に光る刃となって時代に突き刺さったのが、1970年10月に世に出た北原ミレイのデビュー曲『ざんげの値打ちもない』である。
『ひとりの悲しみ』のシングルB面にカップリングされた『未成年』もまた、家出少年を保護した警官が、無言でうつむく少年に、「故郷はどこなのか 北か南か 何でさすらうか どこへ行くのか 何がしたいのか 何がほしいのか」と身の上を尋ねる様子をカメラで映したかのような斬新な構成が光るドキュメンタリー調の力作だが、『ざんげの値打ちもない』は、同じ年に上村一夫と合作した劇画『男と女の部屋』(『漫画アクション』連載。2007年小池書院より復刊)の奈落に落ちた女性像を歌に置き換えた野心作だった。
「あれは8月暑い夜 すねて19を越えた頃 細いナイフを光らせて にくい男を待っていた 愛と云うのじゃないけれど 私は捨てられ つらかった」(『ざんげの値打ちもない』)
歌詞を最初から最後まで通して聴かないと物語の全貌がつかめないという構成、未成年の犯罪という反社会的なテーマなど、大衆向けの娯楽として聞き流されるものと相場が決まっていた歌謡曲のタブーを大胆に破った阿久悠の真意は、何処にあったのか。『36歳・青年 時にはざんげの値打ちもある』で阿久はこう語っている。
「幸福も不幸も、家庭にテレビを有している層における幸福や不幸になり、当然、歌謡曲において歌うものも、その範囲の人間ドラマに限定されてきていた。(中略)ぼくは、一度でいいから、テレビを持たない人々、あるいは、テレビを見ない人々の中から、幸福や不幸や怨みを見つけてみたいと考えていたのだ」
現代に受け継がれる、阿久悠の思い
前衛短歌の旗手塚本邦雄をして、「もしいつの日か『昭和梁塵秘抄』が編まれる時、逸してはならぬ。作者の名は消えても、この陰惨な詞華は残されてよい」(塚本邦雄『誘惑的親友論 阿久悠への頌詞』、『クエスト』1978年4月号初出)と言わしめた、「聴く者が一瞬耳を覆ひたくなるやうな脱常識の地獄歌」は世間の耳目を引いて、阿久悠の異才を天下に知らしめた。
「ぼくは、まだ暗かった。明るい日本人などいるはずがないと思っていた」と述懐する阿久悠は、しかし前掲書の中で、「ぼくは、この少女に逢いたいと思っているのだ」と語る。「”ざんげの値打ちもないけれど”といいながら、すべてを話し終わったあと、この少女は、いったいどんな生き方をしているのか、確かめてみたいと願っている」と真情を吐露し、最後にこう結ぶのだ――「それにしても、今の、日本の社会において、ほんとうにざんげの値打ちもないのはだれなのだろうか」
2017年の現在にもそのまま通じるこの疑問を抱いた阿久は、1972年の初頭に胸さわぎを感じ、「今年は、できる限り、明るくやさしさに満ちた詩を書こうと思った」という。「人間とはいったい何だろうとあらためて考えさせられながら、ぼくは、この詩に心を賭けたのである」(同前)。それこそが不朽の名曲『あの鐘を鳴らすのはあなた』(和田アキ子)であった。
「あなたに逢えてよかった あなたには希望の匂いがする つまずいて 傷ついて 泣き叫んでも さわやかな希望の匂いがする」(『あの鐘を鳴らすのはあなた』)
「あなた」というのは、いったい誰なのか。永遠に解けない謎を秘めながら、ゴスペルのように人々の心を打つこの名歌を世に送った後、空前絶後の量産態勢に入った阿久悠の怒濤の快進撃が始まり、時代を席巻する。
没後10年。町は今、砂漠のように干からび、人はみな孤独の中にある。優しさや、いたわりや、ふれあうことを、信じたい心が戻って来るのを渇望している。阿久悠の不在は補いようもないが、時代の中で変装している心を探すことが歌である、という阿久悠の創作姿勢に呼応する現代のシンガーソングライターたちに、その志は受け継がれている。
(文中敬称略)
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