阿久悠――闇の中の光を歌う、異才の作詞家

戦後日本の大衆文化に一時代を画した革新者

阿久悠にとって最初のヒット曲となった『朝まで待てない』(1967年)の歌詞を提供したザ・モップスは、早くから阿久悠の才能を買っていた音楽事務所ホリプロダクションのいち推しバンドだった。実力派ではあるが、グループサウンズの人気に欠かせないと思われる美少年のいない彼らを、当時の流行最尖端であるサイケデリック・ソングで売り出したいというホリプロ創業者堀威夫の要請に応え、阿久悠は「フーテン族のように汚く、ビート族のように得体の知れないところがある」ザ・モップスこそ、GSブームの中では傍流であっても、これこそ本来の主流、という思いで「きれいごと」でない詞を書いた。

『朝まで待てない』の歌詞のはじまりは「あきらめ捨てた筈なのに」、サビのフレーズは「ドアを閉ざしてお前は俺を つめたくこばむだろう」――GS最大の人気グループ、ザ・タイガースの大ヒット曲『君だけに愛を』が少女たちに与える、甘美な夢の対極にある絶望と焦燥。現実の恋愛で誰もが直面するはずのリアルな感情を炸裂させた、今や日本のサイケデリック・ロック/ガレージ・パンクのマスターピースとして世界的に名高いこの曲が、阿久悠の出発点であることの重要性について、もっと注目されてしかるべきではないか。

『また逢う日まで』で書いた新しい別れ方 

阿久悠の詞には、初期の時点で、すでに明確なオリジナリティがあった。『また逢う日まで』でタッグを組んだ昭和歌謡史上最強のヒットメーカー、作曲家の筒美京平は、その特徴を「登場する人間の置かれた状況、周囲の景色、何をしたいのか、何を思いたいのか、すべてはっきりと書かれ、まるで劇画を見る様な迫力を持って詞が書かれて」いたと解説する。

『また逢う日まで』が大ヒットに至るには数奇な変遷があった。1970年2月、もともとCMソング用に筒美京平が作曲したメロディに、阿久悠が『ひとりの悲しみ』と題する別の詞をつけ、やはり阿久悠が詞を書いた『白いサンゴ礁』(1969年)がスマッシュヒットしていたズー・ニー・ヴーという新人GSバンドの4作目のシングルに起用されたが、不発に終わる。 

ところが1年後、この曲にほれ込んだ音楽出版社日音のプロデューサー村上司の熱意に根負けした阿久悠が、愛着のあった元の詞を改作、「男と女が対等に話し合い、納得しあって、二人で出て行く」という、それまでの日本になかった「新しい別れ方」を提唱した。

「また逢う日まで 逢える時まで あなたは何処にいて 何をしてるの それは知りたくない それはききたくない たがいに気づかい 昨日にもどるから」(『また逢う日まで』)

その結果、それを見事に歌い上げた大型新人尾崎紀世彦の驚異的な歌唱力と相まって、阿久悠が自らの方法論をまとめた「作詞家憲法」の第三条「そろそろ都市型の生活の中での、人間関係に目を向けてもいいのではないか」、第五条「個人と個人の実にささやかな出来事を描きながら、同時に、社会へのメッセージにすることは不可能か」などの命題を鮮やかにクリアするミラクルヒットが誕生した。

次ページ暗闇に光る刃となって時代に突き刺さった歌
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