それは、やはり社員一人ひとりの人格を全肯定することに尽きるのではないかと思います。厚遇したり、おカネを与えたり、モノを与えるなどということでは感動させることなどできないのです。もちろん、そういうことも大事ですが、なによりも「相手を肯定すること」が重要です。
このことについては、山田無文という名僧の書かれた『中道をゆく』という書物の中に書かれている話があります。おおよその内容を引用します。
『中道をゆく』に描かれていること
昔、釈宗演(1860~1919)という人がいました。鎌倉の円覚寺の管長になった人ですが、少年の頃、京都の建仁寺という本山のなかの両足院という寺に峻崖(しゅんがい)和尚という名僧について勉強していました。
ある日、先生が外出されたので、座敷を掃除していた。しかし、いつの間にやら、縁側で大の字になって昼寝をしてしまいます。どれほどの時間が経ったのかわかりませんが、ふと気がつくと廊下の隅のほうでミシリミシリと音がする。フッと目を開けて見ると、先生が帰ってきた。小僧の釈少年は、“しまった”と思ったでしょう。
しかし、先生の顔を見て、急に起き上がるのも体裁が悪いので、狸寝入りをして寝たふりをしていました。すると、先生はだんだんとそばにやってくると、小僧の釈少年の目を覚まさせぬように自分の体をそっとよけて回り、枕元を通って自分の部屋に入るとき、腰をかがめて小さな声で「ごめんなされや」と呟いた。
それをもちろん、聞いていた。狸寝入りですから、前後不覚で寝ていたのではないのです。釈少年は、どんなに感激したでしょうか。どれだけ感動したでしょうか。普通であれば、「この横着もの!起きろ!」と足で蹴られても仕方のないところです。それを目を覚まさせないようによけて通り、おまけに目上の人か対等の人の枕元を通るときのように、腰をかがめて小さな声で「ごめんなされや」と言われた。俺をしからなかったな、俺を対等の人間に扱ってくれたな、俺の人格を認めてくれているんだな。釈少年は、感動します。
自分も勉強して優れた人になろう、ならなければ先生に申し訳ないと発奮します。それから、猛烈に勉強し、修行をして、わずか34歳の若さで鎌倉の円覚寺(臨済宗円覚寺派総本山)の管長になったということです(『中道をゆく』からのおおよその引用はここまで)。
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