つまり有権者の深層心理は、「平成の終わり」を意識し始めている。「昭和の終わり」のときほどではないにせよ、「間もなくひとつの時代が終わる」という意識が広がっている。そのことが、国民の政治意識にも変化をもたらしているのではないか。内閣支持率の急落は、「平成の終わり」と無関係ではないように思えて仕方がない。
支持率急落の本質は「長期政権に飽きた」ことかも
ところがそんな空気には無頓着に、すでに4年半もその地位にある首相が、党の規定を変更して任期を3期9年に延長し、さらには「2020年を新憲法施行の年にしたい」と言及している。さすがに「うんざり」してきた。つまり今回の支持率急落は、単に「長期政権が飽きられている」ということが本質なのではないか。
思えば平成は、ちょうど30年で幕を閉じることになる。平成最初の総理となった竹下登首相は、「歌手1年、総理2年の使い捨て」という戯れ歌を残し、ご自身も消費税導入やリクルート事件への逆風を受けて、わずか1年半で退陣した。
その後の歴代首相を、正しい順序で全部言える人はあまり居ないと思うが、「竹下登―宇野宗佑―海部俊樹―宮沢喜一―細川護熙―羽田孜―村山富市―橋本龍太郎―小渕恵三―森喜朗―小泉純一郎―安倍晋三(第1次)―福田康夫―麻生太郎―鳩山由紀夫―菅直人―野田佳彦―安倍晋三(第2次)」と、実にのべ18人に及ぶ。
小泉内閣の5年半と今の安倍内閣の4年半だけが例外で、2つの長期政権を除外すると実質18年半を16人(第1次安倍内閣を含む)で分担した計算となる。つまり「総理2年」どころか、平均1年強の任期しかなかったことなる。平成とは、「弱い短命政権」を大量生産してきた時代であったのだ。
同時に平成とは、「強い首相」を求めて、いくつもの改革を繰り返してきた時代でもあった。そのことは以下の4つのプロセスを通じて強化されてきた。
最初が「政治改革」である。細川護煕内閣の下で「政治改革4法案」が成立し、小選挙区制度や政党助成金が導入された。結果として日本政治は、「政権交代可能な二大政党制」へと一歩前進したが、このことは党執行部の権限強化と派閥の衰退をもたらした。例えば内閣改造の際も、昔の首相は派閥の推薦リストの中からしか大臣を選べなかったのだ。
2番目が「行政改革」である。橋本龍太郎内閣は省庁再編(22省を1府12省へ)に取り組んだが、もうひとつの課題が「官邸機能の強化」であった。閣議における首相の「発議権」が内閣法に盛り込まれ、内閣官房や内閣府の機能充実、経済財政諮問会議の創設などが行われた。内閣における官房長官の存在感が強まったのも、このときからである。
3番目が「小泉時代」である。小泉改革路線は郵政民営化などを実現したが、今から考えるとそれほど大きな成果とは言えない。むしろこの間、変人・小泉首相が目に見えない慣習を次々に打ち破ったことにより、予算編成や外交がどんどん「官邸主導」になっていった。結果として小泉内閣以降の首相は、以前より高い自由度を得たことになる。もっともこのことは、首相が「裸の王様」になりやすくなったことも同時に意味している。
4番目が「民主党時代」である。鳩山、菅、野田の3つの政権が「政治主導」を目指したものの、党内がまとまらずに「決められない政治」を3年半も続けてしまった。特に東日本大震災後の迷走はいただけなかった。このことが反面教師になって、政権に復帰した自民党内では、「(総理に)後ろから弾を撃たない」ことが暗黙の了解事項となった。
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