戦後72年「戦後はまだ終わっていない」理由 日本人は勇気をもって「敗者の歴史」を学べ
靖国神社が、英霊とその遺族の神社であることが痛いほどわかる。元日本遺族会会長の古賀誠氏は、「靖国神社を陛下にご親拝いただけるよう整えるのが自分の使命だ」と言っておられた。
古賀誠氏のお父上も、激戦の地フィリピンのレイテ島で戦死された。古賀氏はご自身が還暦を迎えられたときに、初めて慰霊のためにレイテ島を訪れたという。古賀氏がかつての戦場の跡にささやかな祭壇をつくり、慰霊の祈りを捧げていると、それまで快晴だった空から突然の雨が降り出した。大雨だったそうだ。
「涙雨だったのではないか」
古賀氏はそう口にされた。私もそう思った。当地に眠るお父上の再会の涙、そしてお父上と共に眠る数多くの戦友の涙だったのではないだろうか。当地に眠る人々にとって戦後はまだ終わっていないのである。
靖国に眠る英霊が望んでいることは何か
昭和天皇は1975年を最後に靖国神社を訪れなくなった。今上陛下も靖国に行かれていない。その理由にはA級戦犯の合祀があるといわれる。古賀氏の言う「陛下がご親拝できる環境を整える」とはA級戦犯の分祀である。古賀氏はこう言われた。
「マリアナ沖海戦以後に200万人の日本人が死んでいます。マリアナ沖海戦は1944年6月です。マリアナ沖海戦で戦争をやめていれば東京大空襲はなかったし、日本全国の主要都市を襲った大空襲もなかった。沖縄戦もなかった。広島、長崎の原爆投下もなかったのです。日本はあのとき戦争をやめる決断をするべきだった。それをしなかったのは為政者の責任です」
「決断するべき決断をせずに、大変な犠牲者を出した為政者と一緒に祀られることを英霊がよろこぶはずがありません」
古賀氏が最後に口にした言葉は印象的だった。
靖国神社に眠る英霊の多くは一般の兵士である。一般兵士が死に臨んで思ったことは、国や天皇のことよりも残る家族や恋人たちのことだったと、今回の著書を執筆するにあたり何人もの戦場体験者のお話を聴いて、私は確信している。
英霊となった人々は、自分の死によって残る家族や恋人たちが幸せに暮らせるのであればと、あえて死地に飛び込んでいったのである。
しかし、当時の為政者は英霊たちの思いに応えることなく戦争を長引かせ、英霊たちの家族や恋人たちである市井に暮らす人々にも多大な犠牲者を出した。A級戦犯となった当時の最高指導者たちが、英霊たちにとって歓迎できる人々だとは私には思えない。
A級戦犯の合祀は、中国や韓国との軋轢の種にもなっていることは周知のとおりである。A級戦犯を分祀すれば、総理や閣僚が靖国神社を参拝しても、直ちにアジア各国が何も言わなくなるとは私は考えていない。
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