「自撮り投稿がウザすぎる人」に共通する心境 悪意はないが奥底にガラスのプライドがある
あるとき電車に乗っていると、隣に並んで座っている若い女性たちが、スマホでそこにいない友達のSNS投稿を見ながら嘲笑していた。
「ねえ、ねえ、見て! この表情、まるで女優気取りじゃねぇ?」
「ちょっとキレイだからって、いい気になっちゃって」
「自己愛丸出し、みっともないね」
さすがにスマホをのぞくことはしなかったが、ねたみによる攻撃性が充満しており、そこにいた女性たちよりキレイな友達の自撮り投稿をこき下ろす会話のようだった。
また、別のときに同じような会話が耳に入ってきた。
「ねえ、ねえ、このすました顔、見て、笑える」
「何勘違いしてんの。この顔でよく気取れるね。マジ、笑える」
「百回くらい自撮りして、いっちばんマシなヤツなんだろ」
「一瞬の奇跡、ってヤツだね」
自撮り投稿をせずにいられない人
このように、周囲の人よりキレイな人物やカワイイ人物が自撮り投稿したりすると、ねたみからこき下ろされる。周囲の人より外見で劣るか、似たようなレベルの人物が自撮り投稿すれば、バカにされ笑いのネタにされてしまうことになる。なぜなら、自撮り投稿からは、「自己愛」と「称賛欲求」がプンプンにおってしまうからだ。
拙著『「自分のすごさ」を匂わせてくる人』で詳しく解説しているが、人には自慢せずにはいられない心のメカニズムがある。キレイな人が自分の容姿容貌を自慢げに自撮り投稿したら、ねたみを招き、そのプンプンにおう強烈な自己愛と称賛欲求に対して強烈な反発が返ってくるだろう。面と向かって嫌味を言うことはないだろうが、確実に陰でこき下ろされているはずだ。称賛されたくて投稿しているのに、こき下ろされてしまう。
反対に、とくに見栄えが良いわけではない人が、ちょっと写りが良かったり、構図がうまくいったりして自撮り投稿すれば、バカにされ笑われる。人間はだれしも自己愛が強いから、つい自分を過大評価して自己アピールをしたくなり、周囲の失笑を買ってしまう。
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