「自撮り投稿がウザすぎる人」に共通する心境 悪意はないが奥底にガラスのプライドがある
このように、自撮り投稿をしても、ほとんどいいことはない。それは多くの人がわかっていることだろう。
それなのに、「自撮り投稿をせずにいられない人」は、いったいどのような心理メカニズムなのだろうか?
まわりが白けているのにもかかわらず、「自撮り投稿」を続けてしまう人には、以下のような2つの共通点がある。ひとつめは、モニターカメラが壊れていること。ふたつめは、ガラスのプライドを抱えていることだ。それぞれ見ていこう。
(1)自分のモニターカメラが壊れている人
自分の言動が適切であったかをたえずチェックすることを、心理学ではセルフ・モニタリングと言う。いわば、心の中のモニターカメラで自分の言動に対する周囲の反応を監視しながら、自分の言動をチェックする心の機能のことである。
セルフ・モニタリングがきちんとできていれば、不適切な自分の言動に気づき、それを修正することができる。
しかし、人の反感を招きやすい人は、概してセルフ・モニタリングがうまく機能していない。つまり、心の中のモニターカメラが壊れているのだ。相手の様子をモニターしながら自分の言動を調整することができないため、相手をイライラさせたり、うんざりさせたり、傷つけたりする。相手が気分を害したりあきれたりしているのに、気づかずにいい気になってしゃべりつづける。
だからといって、彼らにはべつに悪意があるわけではない。自分の言動の不適切さに気づかないため、修正がきかないだけなのだ。
その結果、かっこよく見られたい、「できる人」に見せたいといった本人の思いとは裏腹に、「できない人」であることが見透かされ、「痛い人」といったイメージをもたれてしまう。
自撮り投稿に隠された「ガラスのプライド」
(2)ガラスのプライドを抱えている人
本当に自分に自信のある人と、自信ありげに振る舞うだけの人がいる。両者の違いは、周囲の人には一目瞭然なのに、本人はそのことに気づいていないことが多い。本当に自分に自信のある人は、無理して自信ありげに振る舞う必要がないため、不自然なできるアピールなどの「匂わせ」をすることはない。
それに対して面倒なのは、本当は心の中に劣等コンプレックスを抱えているのに、それを隠そうとして自信ありげに振る舞うタイプだ。自信のなさ、劣等コンプレックスの強さを見抜かれまいと必死になって虚勢をはる。
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