年収300万円、アパレル店員は軽視されすぎだ 不人気のアパレル業界就職に打開策はあるか
老舗ニットメーカー・米富繊維株式会社(ヨネトミセンイ)のファクトリーブランド「Coohem(コーヘン)」でアシスタントデザイナーを務めている神山悠子さんも、商品に惹かれてブランドに入った1人です。ロンドンのファッションスクールでデザインを学び、現地でいくつかのブランドのアシスタントデザイナーを経験した後、友人の紹介で 「Coohem」と出合いました。そのときに「ニットでここまでこだわっているブランドは他にない!」という衝撃を受け、活動拠点をロンドンから山形に移したというわけです。
フランスの一流メゾンで働いていた杉原淳史さんも、創業93年の歴史を誇るテキスタイルメーカー・小野莫大小工業(オノメリヤス)の特許素材「コズモラマ」と出合ったのがきっかけで、日本に帰国しました。吸水速乾性とファッション性を併せ持った独創的な生地に惹かれ、多くの人にその魅力を伝えたいという想いを胸に、5年を過ごしたフランスから日本へと活動の拠点を移したのです。
杉原さんはもともと「一部の人たちの楽しみに留まっている日本のファッションの現状を変えたい」という野心があり、帰国後にはカットソーブランド「smoothday(スムースデイ)」の立ち上げにデザイナーとして参画しています。
商品のクオリティに惹かれて、工場の職人を志す人たちもいます。大正元年創業のスーツ生地専門工場・葛利毛織工業は、この5年で7人の若手が入社しました。5年前、金沢美術工芸大学から新卒で入社した水野太介さんもその一人。80代の職人から80年前の木製織り機の使い方を学ぶことで、世代を超えてものづくりが受け継がれています。
仕事に誇りを持てれば、状況は変わってくる?
冒頭で述べたように、ファッション業界を夢見る人はどんどん減少しています。現状打開のためには、前提として労働環境や待遇の改善が求められます。それに加えて、働く人がブランドの商品や理念をよく理解し、自分の仕事に誇りをもっていれば、状況は違ってくるのではないでしょうか。
たとえば、販売員が店頭で感動体験を提供していれば、「この人から買ってよかった」と感じるお客様は必ず現れるはず。その中から、自分もファッション業界で働きたいという人が出てくるかもしれません。そういった個人的な体験が連鎖することで、ファッション業界にあこがれる若者の減少に歯止めをかけられると信じています。
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