――男性があてにならないというのは?
陳雪:うちは私や姉が小さいとき、父親は別の町にいて、母が1人で私たちの面倒をみていたの。そのころ幼稚園はなかったし、お手伝いさんを雇う余裕ももちろんなかった。祖父母は子だくさんで、仕事も忙しかったので、私たちを見る余裕はなかった。それで姉は小学校に上がるようになると、自分で学校に通っていた。彼女は当時とても小柄だったけれど、1人で重いカバンを背負って通学していた。それが今の彼女のタフな性格のもとになったと思う。
母は母で大変だったわ。文革は終わっていたけれど、まだ社会は開放されておらず、みなとても強い危機感を持って、ピリピリしていた。仕事は国から与えられるものだったから、万一、首になってしまったら、本当に食べていけなくなってしまう。おまけに父はろくにお金がなかったから、母が1人で私たちを育ててきた。そんな調子だったので、ずっと「男はあてにならない」と思っていたのだと思う。
魯悦:うちも私たちが小さいとき、父親はほんのちょっとした煙草代くらいしか持ってなかった。私たちの生活費は母が稼いでいたわ。大きくなってからは、私と姉がこっそり父にお金あげているんだけれど、父はお金持つのに慣れてなくって「いらない」って言うの。
陳雪:それはうちも同じ。うちは母がわりとお金をたくさん持っていたのよ。でも、それは全部子供に使って、私たちには「家を買ったらいい」とか言うのに、父にはほとんどお金をあげていなかった。あんまりかわいそうなんで、今は私や姉がときどき父にお金をあげているの。
劉陽:うちなんて、母が家計を完全に管理していて、父が買い物から帰ってきたら、野菜の値段がいくらだったとかで、父に恨み事をいっていた。そんな父が気の毒で、私も自分で働くようになってから、父にこっそりお金をわたしているわ。
陳雪:日本でも、家計は奥さんが管理するって聞いたけど。
――そうなんですが、日本の奥さんはCFO(最高財務責任者)で、中国の奥さんはCEO(最高経営責任者)だと、日本在住歴が長い中国人男性が言っていたことがあります。
陳雪:ああ、確かにCEO多いわ!
※ 続きは8月27日に掲載します
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