男はあてにならない
――ところでみなさん、専業主婦になろうと思ったことはないですか?
魯悦:体調をくずして休んでいた時期があって、その時は専業主婦していた。帰宅した夫が私の作った料理を食べてくれるというのがうれしかったわ。ずっと仕事を猛烈にしてきたから、こういうのもちょっといいなと思うんだけれど、きっと長くは続かないでしょうね。
劉陽:うちは、私も夫も専業主婦(夫)をしたことがあるの。2人とも時期は違うんだけれど、転職のために仕事をやめ、新しい仕事が見つかるまでしばらくちょっと休みたいなというときがあって、夫なんて2年近く、けっこう楽しそうに専業主夫していたわよ。もっとも彼は前職でたっぷり退職金が出て、貯金があったので、私が養っていたというのとはちょっと違うんだけれど。
――それでも中国では珍しいですよね。
劉陽:だから私たちは、社会の反逆者なの。私も1年くらい専業主婦したけれど、社会から切り離された生活というのが耐えられなくて、とても無理だと思った。
陳雪:私もそうよ。最初の子を生んだときは半年ほど専業主婦をして、自分で子育てをした。それはもう苦痛だったわ。やっぱり仕事してないとだめね。
実は私には姉が1人いるんだけれど、彼女なんてまさに仕事が命の「女強人(女傑)」で、専業主婦どころか、40歳近いのにまだ結婚していないわ。強すぎちゃって、中国人男性では誰も彼女の相手にならないでしょうね。
――そういえば陳さんのお母さんも「女強人(女傑)」という話でしたね。みなさんのタフさの背景には、ご両親の影響はありますか?
魯悦: 私はあるわ。私の母は学校の成績はすごくよかったんだけれど、妹と弟を養わなければなかったから、大学進学はあきらめて、16歳で働き始めたの。だから私と姉は小学校にあがる前から、絶対に大学に行きなさいとか、どんな職業につきなさいといった話をずっと聞かされて育った。
母は本当に厳しくて、他の友達が遊びに行っていても、私たちは絶対にだめ。私は学校では男の子みたいに腕白で、負けん気も人一倍強かった。それは母親の影響がすごくあったと思う。
陳雪:私は母から「男はあてにならない」って言われて育ったわ。私の家では、父より母のほうが強かった。
魯・劉:うちもそう。
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