「公園のブルトレ」修復に取り組む社長の熱意 5年前に自費で修復、今後の活動へ賛同募る
そこで見た20系は、圧倒的な存在感だった。居住性を高めるために限界ぎりぎりまで大きく設計された迫力のある車体、独特の丸みを帯びたデザイン、そして列車全体に電力を供給する「電源車」に搭載されたディーゼル発電機のうなる音。20系の魅力は、高橋さんの心に深く刻み込まれた。
修復活動の直接のきっかけとなったのは、2005年夏に発売された「20系特集」の鉄道雑誌だ。ブルートレインとして華々しく活躍した時代の記録に惹かれて手に取った高橋さんだったが、衝撃だったのは「保存車両」のページに掲載されていた、福岡市の貝塚公園に置かれたナハネフ22形の写真だった。
そこに写っていたのは、特徴的な曲面ガラスは割れ、モノクロ写真でもわかるほど色あせた姿。貴重な20系、しかも保存車両が数少ない最後尾車のナハネフ22形がこのような状態になっていることに高橋さんはショックを受けたという。
貝塚公園のナハネフ22形のことはその後も頭を離れず、高橋さんは2009年の夏に現地を訪問。実際に車両を目の当たりにすると、「これはなんとかしなければ」との思いが湧き上がった。いったん横浜に戻った高橋さんはすぐに再び公園を訪れ、管理事務所に「掃除をさせてほしい」と申し出た。
なんとか修復できないか
許可を得て清掃のため車内に入ってみると、窓枠が外れて車内に雨水が浸入し、内装が剝がれ落ちるなど、車体はあちこちが傷んだ状態。長年のホコリも積もったままになっており、「とても1日で掃除できる状態ではなかった」という。
2~3カ月に1度、福岡へと通って地道な清掃作業を続けるうち、高橋さんの活動は公園を管理する市の担当者にも伝わることになった。市の担当者は「ボランティアで清掃したいとの申し出、しかも関東から飛行機で通ってとのことで驚いた」という。
担当者と面会した高橋さんは、「この客車は鉄道博物館(さいたま市)に保存されているのと同型で、九州にはここにしかなく、全国でも極めて数少ないとても貴重な車両」と説明し、なんとか修復できないか、と訴えた。行政での修復が予算面などで難しければ、自分が直すことで許可をもらえないかとも相談したという。
だが、市が管理する公園の保存車両を個人が修復するのは、責任の面などで許可は難しいとの答えだったという。そこで高橋さんは一計を案じた。自ら修復を行うための会社を立ち上げ、法人として責任を取る。さらに修繕費もすべて負担するので、許可してもらえないかと提案したのだ。
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