「公園のブルトレ」修復に取り組む社長の熱意 5年前に自費で修復、今後の活動へ賛同募る
「責任も取る、お金も出す、そんな人がいるんですか?と驚かれた」と笑う高橋さん。貝塚公園のある福岡市東区の当時の区長で、現在は福岡空港ビルディング常務取締役の副島広巳さんは「自費で修復を行いたいというのはなかなか例のないことだが、高橋さんの話を聞いて非常に感銘を受けた」といい、「本当にありがたい申し出で、ぜひ協力したいと思った」と当時を振り返る。
客車はJR九州が市に無償貸与している形のため、JRの許可を取る必要があったことや、東日本大震災による影響などで着手は当初の予定より遅れたものの、2011年11月、いよいよ客車の修復が始まった。
実際の作業は地元の工務店に依頼し、塗装は九州を走っていた夜行急行「かいもん」時代の姿に塗り直したほか、窓ガラスもすべてアクリル製の新品に交換。雨漏りで腐食した内装も修復し、内外装ともに現役時代の姿に極力近づけた。許可のために東京―福岡を何度も往復した交通費などを含む総費用は約350万円。すべて高橋さんが自費で負担した。
国鉄黄金期をつくった人々の心
修復作業を終え、客車が現役当時を思わせる美しい姿によみがえったのは2012年の4月末。修復に合わせて市は階段やさくを設置し、区は完成を祝って記念のセレモニーを企画した。当初7月に予定していたセレモニーは九州を襲った豪雨の影響で10月に延期されたものの、「復活したブルトレ」は地元の話題を呼び、内部を公開するイベントも行われた。現在は年に2回、3月末と10月末の週末などに車内の公開を行っており、市によると1日当たり400~500人ほどが訪れ「市民からとても好評」という。
多忙な日々を縫って福岡に通い、自費を投じての大規模な修復……。ここまで20系客車の保存・修復に力を注ぐのはなぜか。高橋さんは、幼少期の思い出の車両である103系電車なども含め「調べていくうちに(当時の国鉄技師長)島秀雄さんと(当時の国鉄総裁)十河(そごう)信二さんの情熱や生き様が反映されたデザインが好きなんだと気づきました」と語る。
島秀雄氏と十河信二氏は「新幹線の父」として知られる。「ただ新幹線をつくったのではなく、斜陽といわれていた鉄道を再び交通の中心へと取り戻した。この2人の力があってこそ、現在の世界各国での高速鉄道の発展がある。(航空や自動車と比べて)環境への影響が少ない高速鉄道の実現は、世界を救ったことにもなると思う」と高橋さんは言う。
その2人の人柄やスピリットが、新幹線だけでなく当時の国鉄車両デザインに表れているというわけだ。そして、先人から引き継いだ次世代への「バトン」が、20系に象徴される、現在に残された国鉄車両なのだと高橋さんは語る。
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