スーパーIT灘高生が、大好きな日本を救う 新世代リーダー Tehu スーパーIT灘高生
1995年、阪神淡路大震災の年に神戸で生まれた。震災の1カ月前、母親のお腹にいる時に、両親が「子育てのために」と引っ越した。それまで住んでいたアパートは全壊。新居で7カ月後に誕生する。
教育熱心な親のもと、「おまえは灘に入って医者になれ」と言われて育ち、小学4年生から受験勉強をして灘中学に合格した。
入ってすぐに化学、物理学の研究系に進みたいと思った。「医者にはなりません」と親に告げると、「そうか」とあっさり認めてくれた。「でも、ちゃんと稼げよ」「はい、大丈夫です」。親の期待から解き放たれたTehu君の飛行が、ここから始まる。
研究の道を志したものの、隣の席に大学の物理の問題集を解いている生徒がいた。彼はのちに物理オリンピックで金メダルを取る。のちの化学オリンピックや数学オリンピックのメダリストもいた。「こいつらには勝てんわ」と早々に悟り、研究の道はあきらめた。
灘で埋もれないためにどうする?
「飛び抜けた天才がごろごろいる灘で埋もれないためにはどうしたらいいのか…。自分にしかできないことをしたい」。2歳から触っていたコンピュータで何かしようと考え、プログラミングを独学で習得する。
2009年、中学2年生の時にiPhoneアプリ「健康計算機」を3時間で作って公開したところ、180万ダウンロードを記録、AppStoreで世界第3位となった。まだアプリの数自体が少なかった頃だ。雑誌やテレビで取り上げられ、「スーパーIT中学生」と呼ばれるようになる。
このアプリを作ったきっかけは、学校の健康診断で「少しやせたほうがいい」と忠告されたから。自分のためにBMI(肥満度)を簡単に計算できるアプリを作ったのだった。
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