仏大統領選、実は「極右vs既存政党」ではない マクロンは19世紀のティエールに似ている
「私は新しい政治力を作りたいと考えた。その名前は『En marche!』(前進)である」(42ページ)。「前進党」の出現か? 彼のいう革命が、たんに既存政党をひとつにまとめ一本化することにすぎないとすれば、サルコジとオランドの入る大連合の前進党ができあがるかもしれない。
これはいったいどういうことだろうか。大政翼賛なのか、非常時の挙国一致なのか。極右勢力の増大を恐れ、すべての勢力が一致団結するというのは、極右政権以上にきわめて危険な兆候である。これは極右を恐れて次第に一党支配へと進んでいる世界の兆候の表れにすぎないのか。
フランスの政治評論家クリストフ・バルビエは『左派の最後の日』(Flamamrion,2017)の中で、マクロンは19世紀の政治家、アドルフ・ティエールに似ていると述べている(162ページ)。これは言いえて妙である。ティエールという政治家は、1830年代から1870年代までつねに表舞台にいて、けっして消えることのなかった執拗な政治家である。最後に1871年、あのパリ・コミューンを降伏させてフランス第三共和制の初代大統領になった人物である。とにかく偉くなるためにはなりふり構わず、できることはなんでもした人物といえる。
マクロンはティエールに似ている
ティエールは、ルイ・ナポレオンの下で疲弊したフランスを立て直すという大一番の賭けに勝ったのだが、結果は第三共和制を見ればわかるように、ある意味凡庸な政治体制の出現であった。カメレオンのように変化し、なにものにも対応する能力、そしてやたら権力と出世欲に長けた男。それがマクロンであるとすれば、彼はティエールかもしれない。確かに権力は手中にしたが、フランスの歴史の中で、ティエールはパリ・コミューンを蹴散らしたという汚名をいまだに着せられている。
マクロンの具体的な政策については、左右どちらから見ても妥協可能なプランであることは間違いない。ロスチャイルド銀行の銀行マンであり、ジャック・アタリのブレーンのひとりであるマクロンは、経済成長を第一に考え、そのためにグローバリゼーションを促進する。ただし、社会党にいただけあって、労働に関してもそれなりに配慮する。すなわち、恵まれない労働者に対しては、機会平等を主張する。しかし、機会平等の後は厳しい競争であり、敗北しても、それは自己責任というわけである。
マクロンは既存政党批判を繰り返しながら、一方で既存政党の再編、共和党と社会党の再編を目論んでいる。その意味で、既存政党の不満分子を数多く集め、総主流派を形成することになるだろう。そうなれば、第2次選挙は圧倒的な勝利となる。しかし、彼の「革命」は、権力を得た途端、すべての支持を得ようとして、泡のごとく消えるかもしれない。そのときこう叫ぶのだ。「掘り返したぞ、老いたモグラよ!」。
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