森友問題で見えた「ウソが本当になる」仕組み

哲学者は実は最も真理を信じていない人種だ

それに連関してもう1つ挙げますと、ウソをウソだと証明できないとしても、確実に見破られるものだという直感です。前回も言ったように、こういう「直感」こそ危険であって、その思い込みに基づいて、膨大な冤罪を生み出し、その典型とも言える魔女裁判や異端審問、キリシタン迫害や共産主義者迫害を引き起こした、ということ、よって直感はあてにならないもの、それに基づいて判断することはたいそう危険である、ということは重々承知している。

大事件になると、とたんに「不自然なゲーム」を始める

しかし、日常生活では、とくに個人的関係においては、実感こそ最もあてになるものではないでしょうか? なんとなく本当らしくないとか、どうも胡散臭いという直感が、まったくの誤解に基づいていることはあまりないのです。ただ、現代人は、半強制的に、新聞に載ったりテレビに放映されるレベルの事件に関しては、これとは違う態度、すなわち直感を信じてはならず、証拠もないのに人を追及してはならず、違法な仕方で復讐してはならない、という態度をとるべきだというゲームを遂行しているだけなのです。

私が言いたいのは、後者の態度はずいぶん不自然だということ、ただこれまでの人類の恐るべき愚かさを反省することによって成立した約束ごと、すなわち「社会契約」という名の虚構にすぎないということです。人は、いかなる証拠も所持しなくても、自分の直感に基づいて他人を非難したいし、他人を裁きたいし、他人に復讐したいのではないでしょうか? 

もちろん、このすべてが「自然である」としても、そのまま現代で通用する「よいこと」であるわけではない。私が強調したいのは、こういう自然をまったく認めずに、それは「よいこと」ではないから、むしろ不自然であるとみなす世の風潮です。

このことを考えるに適切な事例は、痴漢とか覗きのような性犯罪、あるいは万引きや振り込め詐欺のようなドロボーではないでしょうか? つまり、満員電車の中で女性の身体に触るのも、トイレで盗撮するのも、風呂場を覗き込むのも、生物学的に見てとくに異常ではないように思いますし、スーパーや本屋で巧みに万引きするのも、振り込め詐欺によって老人から数年間コツコツためた金を奪い去るのも、人類学的に見てとくに病的ではないように思われます。すなわち、こうした行為は不自然ではないという意味で自然であるように思われるということです。

しかし、現代社会においては、とくに性犯罪の場合、こうした行為は直ちに「異常」と診断されてしまうのだから不思議なことです。ここで頭を柔軟にしてもらいたいのですが、こうした行為は被害者の「人格」を考えれば、するべきではないとも言えますが、「するべきでない」と知っても、「する」のが人間の自然でしょう。痴漢は「自然」であるとしても許されることにはならない、という文法は十分成り立ちえるのに、痴漢は「不自然」としたうえで、よって許されないという短絡した欺瞞的文法を作り出す。ここには、最も暴力的な「非知性主義」がまかり通っているように思われます。

話がずれていったようですが、そうではなく、言葉を学んでしまったわれわれ人間は、ウソをつくべきではないと知っても、ウソをつくのが自然なのです。裏側から言いかえますと、ウソをつくことが人間にとっていかに自然であっても、どんなときにもウソをつくべきではないという「真実性の原則(道徳原則)」は立派に成り立つということ。

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