森友問題で見えた「ウソが本当になる」仕組み

哲学者は実は最も真理を信じていない人種だ

カントはまさにこのことを示したのですが、私はこれをさらに微調整して、違法にならない限りウソをつくことがいかに自然であってもウソをつくべきではない、という原則は成り立つ、言いかえれば、ウソをつくべきではないという原則は、違法にならない限りウソをつくことが「自然だ」ということを排除しない、と言いたい。そして、さらにある人がウソをついていることを直感によって決めつけるべきではないけれど、このことは、ほとんどの場合、直感によってウソをついていることがわかるという事実(自然)を排除しない、とも言いたいのです。

今回の主張も、読者は「さっぱりわからない」だろう

さて、前回の記事に関しては、この連載のうちで1番反響があったのですが、それにしても、私の言うことがこれほど「通じない」とは思わなかった。「何を言いたいのかさっぱりわからない」という意見のもち主は、堅い枠組みにとらわれていて、AならばB、CならばDという平板な推論から出ようとしない。そういう人は、今回の私の主張も「さっぱりわからない」に違いない。そして、そうなる最も大きな理由は、(哲学者としての?)私の関心が、ほとんどの人の関心とずれているせいではないか、と思っています。

私は、日本も人類も宇宙も今後存続してかまわないけれど、明日消滅しても一向にかまわないと思っている。というか、両者のあいだにはそれほど大きな差異はない、つまり、日本や人類や宇宙が「ない」ことはちょっと困るとしても、日本や人類や宇宙が「ある」ことがちょっと困るのとそう変わりはないと思っている。こうした実感を、ほとんどの人は私と共有しないでしょう。

そのうえで言いますと、面白いのは、「わからない」という人の多くが、「哲学者」という言葉にプラスの価値を認めていることです。これは、ここ30年くらいずっと言われてきたことであって、「おまえは哲学者なら、もっと立派なことをせよ」と叱られてばかりきた。哲学とは何かを微塵も知らないくせに、よくもまあ言えたもんだとあっけにとられますが……。カントの例を出して「哲学者はボーリングで9本のビンしかないのに、11本倒した」という大ほら吹きだということをはじめに書いたのに、やはり(たぶん)何も知らないまま、カントは偉いはずだ、偉い人は真実を語るはずだ、と思い込んでいるのでしょう。

しかし、カントの言うように、哲学者に天下国家に関する「まともな」意見を期待してはならないのであり、「だから」私はこの連載を続けているのですが、それをいまさら確認しなければならないとは、無性にいら立つことです。

哲学者は真理を求めています。しかし「求めている」だけであって、真理を「知って」いるわけではない。これが、「フィロソフィー(哲学=愛知)」という語のもともとの意味だということはいいでしょう。これをソクラテス的にアレンジすると、哲学者は、自分は真理を知らないことを知っているという「無知の知」の体現者であるべきなのです。これは、単なるレトリックではない。哲学の道に迷い込み、真理とは何かを求めていくうちに(私は50年間求めてきましたが)、次第に真理らしいものをつかみ始めたと思う一方で、やはり何もわからないという絶望が全身を襲います。

真理を真剣に求めるからこそ、真理に対して疑いをもつのです。こうして、哲学者とは、最も真理を信じている人種であるからこそ、じつは最も真理を信じていない人種なのかもしれません。

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