森友問題で見えた「ウソが本当になる」仕組み 哲学者は実は最も真理を信じていない人種だ

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メチャクチャな籠池さんがむしろ颯爽と、そして真顔で答弁する政治家や役人のほうが薄汚れて見える、と筆者はいいます(写真:アフロ)

前回(「森友学園問題」は哲学的に見てとても面白い)取り上げた森友学園問題は、その後北朝鮮問題などの陰に隠れてしまい、(いまだにくすぶっていながら)このまま消え入りそうな気配ですが、初めの相貌は相当変化してきた気配です。

籠池さんのほうがむしろ「颯爽としている」

籠池さんのメチャクチャぶりがむしろ颯爽としていて、予選委員会において真顔で答弁する政治家や役人たちの方がうす汚れて見える。これはあくまでも私の「主観的印象」ですが、どちらも(たぶん)ウソをついているのに、前者のウソはむしろすぐばれそうな下手なものであり、後者のウソはきわめて巧妙なものであるように思われるからでしょう(これも私の「主観的印象」です。念のため)。

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そこでふと思い出してみると、ずっと前の舛添さんのウソも、大政治家である(?)にもかかわらず、どちらかというと籠池さんのウソに似ていて「かわいらしい」ものに思われてくる。その点、さらさらとまくし立てる政治家や役人の答弁は、ほんとうに「かわいげのない」ものですね。

私は、世の中で起こるすべての出来事を大部分の人とは異なった視点から見ていますが、この森友学園問題も、国有地の払い下げにおける政治家の介入とか、総理大臣夫人のふるまいとか、森友学園の右翼的教育とかに対してほとんど興味はない。そうではなくて、ひとはなぜ真顔でウソをつくのか、そして、現代日本社会ではどんなウソもそれを追及する「力」に屈服しなければウソではなくなる、という点に絶大な関心がある。

現代社会では、ウソはウソだという直感だけではウソにはならず、それを指摘する側の法的・政治的・社会的力に支えられて初めて「本当の」ウソだと認められるというわけであって、まさにニーチェの「力への意志」そのまま、真実は力に支えられねばならない、ということがひしひしと感じられました。

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