5歳児衰弱死事件の親が抱えた4つのハンディ 「子どもの育て方を知っている」は当たり前か
R君の遺体を司法解剖した東海大学の大澤資樹教授によれば、R君は小柄ながらも5歳児相当に体は育っていた。子育てをしていたというSの証言はうそとは言えない。
Sは子どもを亡くした時期の記憶がない。1審の裁判では、殺意の根拠になる、亡くなる前にどの程度家に帰ってきたかをめぐって、Sの証言が二転三転した。さらにR君の死は「事故のようなもの」「なぜ亡くなったかわからない」という言葉を口にして、裁判員らの不信を高めた。
だが、Sに限らず、子どもを亡くしてしまうほど追い詰められた親は、しばしば、その直前の記憶があやふやである。
R君の死は、餓死とは特定されていない。病死、凍死などの思いがけない死であった可能性はある。SはR君の死について「事故のようなもの」と証言し、聞く人を驚かせたが、子どもが亡くなると想像さえしていなかったSには、それが率直な実感だったことを否定はできない。
この家族が抱えていた見えにくいハンディキャップ
一つひとつは言葉にしにくい困難が、粉々に砕け散った鋭利なガラスのように、この家族に降り注いでいた。筆者はそのように感じた。
この家族が抱えていた見えにくいハンディキャップは、お互いに影響を及ぼし状況を悪化させる。公的支援が入る以外、この家族を助ける方法はなかったのではないか。そう考えれば、R君が3歳のとき、児童相談所がその行方を真剣に追わなかったことが悔やまれてならない。
この裁判の2審の判決文は言う。
「1人で養育することに困難があったのであれば、公の援助を求めるなど取り得る手段は多く存在していたのであって、知的能力が若干人よりも劣っていたとはいえ、被害児の養育の点以外は通常の社会生活を送っていた被告人にとって、そのような他の手段を求めることが困難であったともいえないことからすると、本件保護責任者遺棄致死の犯情も軽視することはできない」
困難を抱える人たちはそのハンディキャップゆえに、さらなるハンディキャップを背負いこみ、状況を悪化させ、支援から遠ざかる。現代を生きる、孤立し、多様なハンディキャップを負った人たちの困難のあり方を、個人の責任にのみ帰した、国として無責任な判決文に筆者には読める。
Sの心理鑑定を行った前出の西澤教授によれば、R君の母親が家を出て行った時、Sは「これからは2人だから。2人だけで生きていこうね」と話したという。そして法廷や筆者への取材でSは、「子育てと仕事の両立でいっぱいいっぱいだった」と繰り返した。
人のつながりが切れやすい時代が到来している。司法は父親であるSを特異な「極悪の男」として、当面社会の枠外に置いた。もっとも力が乏しい人たちから順番に社会から排除されていく。そのような社会の現実が進行する。
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