外国人が感じた日本の「道徳教育」のすごみ 知らず知らずのうちに道徳心を学んでいる
こうした授業や活動を通じて、「人はみな異なる意見を持っていることを学び、子どもたちは前向きで、道徳的に人に接することができる」とマカリスターさんは話す。
実はマカリスターさんは、先ごろ小学校1年生の娘と日本旅行へでかけ、日本で出会った幼い子どもたちの心遣いや、礼儀正しさ、責任感の強さに感銘を受けたばかり。彼女にとってこうした「資質」はとても重要であり、私立学校を選んだ理由でもある。私立では宗教教育が許可されているが、彼女が重視するのは宗教的な教えではなく、道徳なのである。
もちろん、日本にしろ、米国にしろ道徳教育に対して懐疑的な声もある。教育関係者の中には、道徳教育には政治的底流があり、政治的右派に傾く伝統的、国家主義的、保守的な価値観を子どもたちに教えている、と指摘する人もいる。教師が、同様の意見を持った生徒にしか良い成績を与えないのではないか、という懸念もある。そもそも、こうした教育が生徒の価値観や行動に影響を及ぼすかは微妙だと見る向きもある。
形だけの人格教育には意味はない
これに対して、オーエン氏は教育の効果は、指導方法によると指摘する。「たとえば、校長が毎日、偉人の名言を1つずつ伝えるような形ばかりの『人格教育』は意味がない」。教育や育児に関する複数の著書を執筆しているアルフィー・コーン氏も、著書の中でこう述べている。「ある種のテクニックを用いて人格教育を行うことで、一時的に特定の行動を覚えさせることはできるだろう。しかし、(子どもたちの)言動が続く可能性は低い。環境が変わったらなおさらだろう。それは児童に、そうした教えを自らの価値観に取り入れるように教えていないからだ」。
では実際、どういう指導方法が理想的なのだろうか。オーエン氏が見た、最も実践的かつ効果的な道徳教育が行われていたのは、アラスカのある学校だった。この学校では、校長が毎日すべてのクラスに足を運び、席について授業を観察していた。彼はすべてのクラスの状況を把握し、生徒たちとも良好な関係を築いていた。生徒が不適切な行動を起こした場合は、すぐにその生徒と話し合った。校長の行動は参加型の学校をつくり出し、生徒も教師も学校が掲げる道徳的目標の実践に励んでいるという。
「多くの教師は道徳を教えたいと思っている」とオーエン氏は言う。「子どもが行儀良くして、思いやりを持ってくれたら成績も上がるのではないだろうか」。