昨年1月、筆者がパーソナリティをしているラジオ番組(「日本一明るい経済電波新聞」MBSラジオ日曜日朝8時半から30分)に、右田社長に出演してもらいました。お土産の「とろ鯖棒寿司」をアシスタントの高井美紀アナウンサーとほお張りながら、「鯖や」開業前のお話を拝聴。そこで「実は僕、魚が苦手だったんです」という意外な言葉が出ました。
それなのに19歳のときの就職先は魚屋さんでした。外回りをしていたときに出会った居酒屋のカレイの煮つけが美味しくて、魚への見方が変わったそうです。魚の本当の味を知ってから4年ほど勤務。しかし仕事をしていくうちに自分の可能性を試したくなり、23歳でオーストラリアへ行くことにしました。現地でも魚にかかわる回転ずしへ飛び込み就職。そこでめきめきと頭角を現し、メルボルンの支社長にというオファーも来ました。
「給料もよかったんですけど、このままでいいのかと思ったんです。日本でまだやることがあるのでは、と帰国することにしました」。ただこのときの、店舗開設や市場調査そしてマネジメントの経験は、後に経営者になってから大いに役立ったといいます。
「サバだけ売ったらええやないの」
帰国後、保険や通信会社の営業をしましたが、向いていなかったのか、成績はいつも下から2番目ぐらい。オーストラリアでの成功は何だったのか、と落ち込みます。それで30歳になって原点回帰。奥さんと一緒に居酒屋をオープンしました。評判は上々で、特に右田さんが作るサバずしが好評でした。ある日、閉店後の洗い場で、奥さんが「サバだけ売ったらええやないの」とつぶやきました。
右田さんが作る料理でいちばん美味しいのはサバずしだ、と言うのです。その言葉に後押しされて、「サバでチャレンジしてみよう!」と思い立ちます。まずは店頭販売用のサバずしの商品化に取り組み、その後、百貨店にも販売を展開しました。大ぶりの脂の乗ったサバを求めて全国を行脚。青森の八戸前沖とろサバにたどり着きます。
ただ、問題がありました。とろサバは通常のサバより脂の乗りがよいため、塩が入りにくく酢をはじいてしまうのです。脂の旨味を残せないかと試行錯誤して、「紙塩」という日本料理の手法を取り入れました。サバを紙で包み、そこに塩を乗せれば、生臭さの元の水分が除かれ、脂のマイルドさはそのまま保持されます。店主、お客さんともども大満足のサバずしが誕生したのです。
しかし、万事順調だったわけではありません。2013年、さらなる店舗展開を目指していた矢先、出店していた百貨店から、全面改装をするので改装費用を負担してほしいと言われました。従業員も増やし新店への投資も進めており、とてもそんな費用は捻出できません。やむなく撤退したことから、売り上げが激減。資金繰りも苦しく、従業員に明日払う給料もメドが立ちません。会社の預貯金残高は、わずか1万5002円という窮状だったそうです。
そんなとき、弟の副社長の孝哲さんから「社長はサバのことだけ考えろ」と言われました。会社の規模が大きくなっているのに何でも自分でやろうとして、悪循環に陥っていたのです。人事は弟に任せ、自分はサバの営業に徹することにしました。すると、翌月にはJR西日本への出店が決まり、その後も伊丹空港、大手スーパーなど大きな案件が次々に実現していきました。自らの情熱をサバの営業一点に集中したら、物事がうまく回転し出したのです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら