乙武洋匡「自分をようやく理解してもらえた」 中川淳一郎と語る「不寛容すぎる社会」の実像

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中川:そうなんですね。会社でよく聞く、すごく嫌いな言葉に「お前、東大卒のくせに使えないな」というのがあるんですが、東大卒の子は超絶仕事ができるっていう前提で、「自分は東大入れなかったけど、俺のほうがよっぽど仕事ができるんだからな、バーカ」って言ってる感じがするんですよ。今の乙武さんの話につながる、嫌な話し方だと思います。

余裕を失った社会に蔓延する自己責任論

乙武:だから自分は、カテゴライズされることに対して、やっぱり強烈な反発心というものがあるんです。本が出るまでも、「障害者だからこうだよね」と思われる風潮っていうのが、とにかく窮屈で。『五体不満足』という本を書いた最大の理由がそこなんですよ。そこで、「そんなこともないよ。皆さんが思っている障害者像って『不幸』で『かわいそう』かもしれないけれども、私みたいに幸せに生きている人間もいることは知ってくださいね」というつもりで、書かせていただいた。ただ今度は、そういうつもりで出した『五体不満足』が、思いのほか多くの方に読まれすぎてしまったことで、逆に今度、皆さんの障害者のイメージが「乙武さん」になってしまったんですよね。

中川:そういうベストセラー本を出す力もない人からすると、「せっかく俺は弱者としてみんなに優しくしてもらえてたのに、余計なことをしやがって」みたいな反応が出るわけですね。

乙武:おっしゃるとおりです。世の中に、まだまだ障害者まわりで、改善しなければいけない問題というのは、たくさんあったはずなのに、私が「僕は生きてて、ハッピーだよ」というメッセージを強烈に発信しすぎたために、「あ、障害者の方も幸せに生きてるんだ、こんなに楽しそうに人生送れてるんだ。じゃ、それでOKだね」となる風潮が、やっぱり許せなかった人が多くいたと思います。

中川:2005年ぐらいからずっとはびこっている自己責任論に近くなっちゃう話ですよね。

乙武:意図せず、私がそこに加担してしまった部分はあるかもしれません。しかし、なぜ私たちはこうも他者をカテゴライズして判断をしてしまうのでしょう。「AならA」というふうに見られていたところ、たまたま私が「Bだよ」と提示したら、もうBとしか見なくなる。健常者にもいろいろな人がいるように、障害者にだってAがいて、Bがいて、いろいろな人がいるはずなのに、なぜ「障害者とはこういう人たち」とくくりたがるのかな、と。

今回の騒動でも、それをすごく感じました。今までは、私のいい部分だけしか見てもらえなくって、「いや、こんなひどい面もあるんですよ」と盛んにアピールしていても、そっちはまったくスルーされて。「いやいや、乙武さん。そんな謙遜して」と、いいところしか取り上げられなかった。ところが、いったん黒い部分が表出すると、今まで言っていたことは、逆にまったくスルーされて、「あいつは最低、最悪の人間だ」となる。確かに私がしたことは最低かもしれませんが、あそこまで「白」扱いされてきた人間が、ここまで「黒」扱いしかされなくなると、世間の評判っていい加減なものだなと苦笑せざるをえない。

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