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キャリア・教育 #松翁、問わず語り

一流の経営者は「将来」から「今」を逆算できる 経営の神様が問わず語りに語ったこと

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  • 江口 克彦 一般財団法人東アジア情勢研究会理事長、台北駐日経済文化代表処顧問
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何? わしの叱り方がうまい? そんなことないで。わしが部下を叱るときには、いろいろ考えて叱るということはないな。とにかく叱らんといかんから叱るわけで、後のことを考えたり、このときはこういう叱り方をしようとか、そんなこと考えて叱るということはないな。そんな不純な叱り方はせんよ。私心なく一生懸命叱る。部下の成長を考えて、叱る。これが部下のためにも組織全体のためにもなると思うから、命がけで叱る。

きみも、わしに叱られたときがある? そうか? それは結構や。心の中では怒りの炎が燃えておる。けどな、叱るということは、正直、あんまり気分のええもんではないわ。叱られるほうはなおさらのことかもしれんけどな。

叱るということはその部下に期待しとるからやというところもあるが、叱った後、言葉が過ぎたかなと思うときもあるし、ああいう言い方でよかったのかなと思うときもあるし、本当にわかってくれたんやろうかと案じたりするな。いろいろな思いが心の中を駆け巡るわけや。叱ったわしのほうが夜寝れんこともたびたびある。4、5日ずっと心に残ることもある。叱るほうはいいですねとか、言いたいことを言えていいですねとか思う人もおるだろうけど、わしは、叱った後は、いつでもつらく気が重くなるね。

本気で叱らなければ部下がかわいそう

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えっ? そういうわしの気持ちが、部下からすれば、きつく叱られながらその後、なにかしら柔らかさを感じるのかってか? それはわしには、わからんわ。きみ、わしに叱られた人のところへ行って聞いてみてくれや。ようけおるからな、いろいろ聞けるわ。

叱るときには、本気で叱らんと部下はかわいそうやで。策でもって叱ってはあかんよ。けど、いつでも「人間は誰でも偉大な存在である」という考えを根底にもっておらんとね。

けど、叱られる部下を見ておると、叱られるのがうまいのと、下手なのとがおるなあ。叱って、わかりましたと。いろいろ言い訳する者は論外としても、わかりました、ということでその場は終わるとして、その後が大事であるわけや。

叱られた者は叱られたことで精いっぱいかもしれんが、今も言ったけどな、叱ったほうもそれ以上に思い悩んでおる場合もあるわけや。いわば、抜いた刀をどうやって納めようかと。

そんなときに、その部下がすぐにやってきて、先ほどのことはよくわかりました。これから十分に気をつけます、と言うと、こっちのほうも思い悩んでいるところであるから、ああ、あの叱り方でよかったな、あの叱り方でわかってくれたんだな、ということになる。内心、ほっとして、やあ、わかればそれでいい、これからも頑張るように、というようなことになる。刀がそこで納められる。叱ったほうも一区切りついたという気分になると同時に、なかなかいい部下だなと思う。また、かえってそういう部下がかわいくなる。人情やな、それが。

わからんのに、わかりましたと言ってくる者はあかんけど、わかったら、そういう態度をとるとええわけや。

ところが、それをなかなかやらんね。叱られたから行きにくい、行けないということもあるかもしれんが、行かない。そうすると、その上司と、だんだんと距離ができて、ついにはあまりいい関係にならんようになる。

叱られっぱなしにしておくと、心がお互いに遠のいてしまうわけや。叱り叱られたことを早く終わらせることやな。わかったらわかったと、そして詫びると。これが叱られながらも、結局は評価されるひとつの方法やね。

まあ、叱られ上手は叱られたことに、嫌な気分を残さん工夫をする人やな。

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