政治家は成功した。しかし職はなくなり、工場は閉鎖した。
支配者層は国民ではなく、自分たちを守った。
彼らの勝利は諸君の勝利ではなかった。彼らの成功は諸君の成功ではなかった。彼らは我々の国家の首都で祝杯を挙げる一方、我々の土地の至る所で困難にあえぐ家族たちにとって、祝杯を挙げることなどほとんどなかった。
これらは全て変わる。ここで、たった今から。なぜなら今この瞬間は諸君の瞬間だからだ。諸君のものなのだ。
今日ここに集まった全員、そしてアメリカの至る所で見てくれている全員のものだ。
今日という日は諸君の日だ。これは諸君の祝典だ。
そして、このアメリカ合衆国は、諸君の国だ。
本当に大切なのは、どちらの党が我々の政府の舵を取るかではなく、我々の政府は国民によって舵を取られているかどうかだ。
国家は国民に奉仕するために存在する
2017年1月20日は、国民が再びこの国家の統治者になった日として記憶に残るだろう。
我々の国の忘れられた男性・女性諸君は、もはや忘れられることはない。
今は皆が諸君の声を聞いている。
世界がこれまで見たことのないような歴史的運動に加わるために、何千万人もの国民がやってきた。
この運動の中心には、決定的な信念がある。それは、国家は国民に奉仕するために存在するというものだ。
アメリカ国民は、子どもたちのために素晴らしい学校を、家族のために安全な地域を、彼ら自身のために良い仕事を求めている。
これらは公正な一般市民の、正当でありもっともな要求である。