ユーシンは「ワンマン社長辞任」で変われるか 経営体制刷新とヴァレオ事業立て直しがカギ

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これまでのユーシンは田邊氏の高額報酬が物語るように株主や社会と十分に対話できていたとは言い難い。2014年11月期は純損益が4億3300万円の赤字となる中、田邊氏は14億円あまりの役員報酬を得て、株主から批判を浴びた。

40年近くも社長を務めてきた田邊耕二氏。高額報酬を受け取り続けた(2014年2月、今井康一撮影)

翌期の2015年11月期の純損益は2億2600万円と黒字化したが、その4倍近い8億8200万円もの役員報酬を得ている。高額報酬が話題になる日産自動車のカルロス・ゴーン社長は2016年3月期に10億7100万円の役員報酬を得ているが、日産の売り上げ規模はユーシンの70倍以上あり、田邊氏が得ていた報酬の水準が非常に高いことが伺える。

「会社の私物化」とも言わんばかりの高額報酬に株主もたまりかね、2016年7月には田邊氏ら取締役7人を相手取った株主代表訴訟が提起される事態ともなった。

2度の社長公募はいずれも失敗に

創業家2代目として44歳の若さで1978年に社長に就任した田邊氏。会社の規模を順調に拡大させてきた。しかし70代半ばともなると、さすがに寄る年波にはかなわず、後継者探しを始めた。2010年に初めて社長公募を行い、元外務省キャリア官僚の八重樫永規氏を選出、取締役社長代行に就任させた。

だが、「八重樫君は人格的にいい男だったが、商売には向かなかった」(田邊氏)。元々は入社から半年ほどで社長に就任させる予定が先延ばしになり、結局、八重樫氏は取締役を辞任しユーシンを去った。

2014年2月にユーシンは2度目の社長公募に乗り出した。1度目の公募が失敗に終わったことについて、田邊氏は「条件設定がまずかった。自分の会社で優遇されていない人ばかり来てしまったのではないか」と分析。

2回目の公募要項には「我こそは地頭が大変いいと思われる方」と明記し、前回は3500万円と打ち出した新社長の「最低保証年収」を、1億円まで引き上げた。しかし書類選考の通過者がなく、打ち切りになった。

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