「猫ひろし」売れない芸人に賭けた妻の真実 リオ五輪出場の裏側には非難と歓喜があった
もちろん、そんな状態なので初デートも安い居酒屋。ムードのかけらもない。にもかかわらず、そんな居酒屋で、意外にも恵子さんは、心を動かされたという。初めて語られた「芸人になりたい」という熱い想い。夢に向かってまっすぐに走る。そんな猫さんに惹かれ、2人は交際を始めた。
2003年、芸人として勝負をかけるべく、猫さんは、久本雅美さん、柴田理恵さんなどを擁する芸能事務所、ワハハ本舗に所属。「ニャー!」と叫ぶギャグを引っ提げてネタ見せ番組にも出場したが、「滑り芸人」のレッテルだけが貼られてしまうという状態に。
そんな時、転機が訪れる。それは、デビュー当時から付き合いのあるスタッフからの一言だった。「このまま続けても未来はない。何かお笑い以外でアピールできることはないのか?」
鳴かず飛ばずの中、見つけたマラソン
その言葉をキッカケに、猫さんは自分自身を見つめなおす。幼い頃から勉強も運動も苦手。コンプレックスの塊だった猫さんが、思い出したこと。それは少年時代に、たった一つだけ自信を持っていた、マラソンだった。運動は苦手なのに、なぜかマラソン大会だけは毎年上位に入賞していたことだ。
猫さんは動いた。プロデューサーに自ら何度も頼み込み、ついに2005年、「TBSオールスター感謝祭」の名物コーナー、赤坂ミニマラソンの出場を決めたのだ。売れない芸人が人生をかけて挑んだミニマラソンで、猫さんは周りの期待を遥かに超えた激走を見せた。以来、同番組の常連ランナーとなる。
この活躍で足が速いというイメージが定着し、各地のマラソン大会にゲストで呼ばれるなど、芸人としての仕事が舞い込むようになった。2007年、売れない生活を支え続け交際6年目を迎えていた恵子さんと結婚。子宝にも恵まれ幸せを掴んだ。2008年には、赤坂ミニマラソンでついに念願の優勝も果たす。
ところが、この後、夫婦はさらなる大きな試練と戦うことになる。
コンプレックスの塊だった猫さんが、初めて手にしたマラソンという自信。新たな自分の可能性を見つけた猫さんは、走るたびにマラソンにのめり込むようになった。すると、わずか3年でタイムを1時間以上も縮める驚異の進化を遂げる。
海外のレースにも参戦し、カンボジアで行われた大会では、国内の有力選手が参加する中、準優勝を果たす好成績をマーク。そしてこのことが、思いもよらない事態をまねいた。なんと、猫さんの走りに注目したカンボジアのオリンピック委員会から、「国籍をカンボジアに変えてオリンピックを目指さないか?」と誘いを受けたのだ。
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