プロ野球・楽天を立ち上げた男が得た経験 プロスポーツの経営をいかに変えていくか

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――おっしゃったように、プロ野球球団というのは、そのときは大企業の広告的な意味とかイメージPR的な意味で球団というのがあったので、その球団事業自体で収支を黒字にしなければいけないんだということは、あまりその当時の常識としては無かったところで最初から黒字化する仕組みを作ったんですよね。

おっしゃるように広告宣伝の形でチームは経営されていて、僕たちはまさにその近鉄球団が赤字で消滅するというときに入っていきましたので、ある意味、このプロスポーツの常識を変えていく、ビジネス的な考え方をどうプロスポーツチーム経営に生かしていくのかということが一つ命題として大きくありました。そのため本当に初日から、チケットの売り方からスポンサーシップの取り方、さらにはコンテンツ配信も含めてですね、色々な新しいビジネスの世界では当たり前かもしれない考え方を、プロスポーツの世界に持っていけたというのがやって良かったなと今でも思っていることです。

――町の色が変わったというのは、具体的にみんなを巻き込んだというか、地域のファンを獲得したということの意味なんですかね。

東北地方、特に仙台、もともとそのプロ野球チームがなかったものですから、今でも仙台に戻ると、実際その町の色が赤く変わっています。それだけではなくて、居酒屋さんに行くと、僕たちが作った野球チームのことをみなさんが話し合う。まさに色だけではなくて、その雰囲気全体が本当に変わっていきました。自分のキャリアとして、それに貢献できたことはプラスだったと思います。

小中学生の女の子がスタジアムに来てくれない!

――チアガールの子供たちが球団で実際にチアをやっているような仕組みも作ったんですよね。

実際、野球チームを始めてみたら、なかなか当時、野球人気というものが上がらずに、特に小学生、中学生の女の子のファンが全然スタジアムに来ていただけない。やるならば野球じゃない違うコンテンツで、スタジアムに呼ぼうとスタジアム自体も、ディズニーランド構想ということで、電飾がついた電車を走らせたりしました。さらに、小学生の女の子のチアリーディングチームを作って2万人の球場の中で踊る、披露するということで、おじいさま、おばあさま、両親だけじゃなくて近所の友達にもプロ野球のスタジアムに足を運んでもらう。それで僕たちの試合というものを見てもらう。プロ野球は、面白いんだなというものを初めて味わってもらう。そういう地道なことを繰り返し続けたのが、本当に当時の一番の思い出ですかね。

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