銀シャリが「M-1」の接戦を制した唯一の戦略 漫才の「王道」に勝負を持ち込んだ
なぜ銀シャリは勝つことができたのか? その理由は彼らの「戦略」に見て取れる。漫才師にとっての『M-1』とは、自分たちという商品を世の中やマスコミ関係者に売り込むための公開プレゼンの場のようなものだ。そこで勝ち抜くためには、その場にふさわしい戦略が欠かせない。銀シャリはその点で秀でていた。
今大会の最終決戦は史上まれに見るほどの大接戦だった。優勝者を決める審査のとき、審査員の全員が難しい顔をして、悩み苦しんでいる姿が映し出されていた。笑いの専門家であるはずの彼らも審査に迷うほど、最終3組の漫才はどれもすばらしいものだった。
それぞれがどういうネタを演じたのか、ということを簡単に振り返ってみたい。まずはスーパーマラドーナ。一匹狼の侍が町娘を助けるところを演じるネタ。役柄をどんどん入れ替えながら、テンポのいいやりとりが続く。2人が大きくバタバタと動き回り、華やかに見える漫才だ。
次に登場した和牛は、花火デートをする男女を演じるコント形式の漫才。コント形式の漫才は漫才コント(コント漫才)などと呼ばれ、最近の若手芸人ではこの形式の漫才を得意とする者が多い。水田信二の演じる得体の知れない不気味な性格の男性が、予測不能な言動で川西賢志郎の演じる女性を翻弄して笑いを生み出していく。抑えたトーンでツッコミをする川西の演技力が光っていた。
そして、最後に出てきた銀シャリは、雑学にまつわる王道のしゃべくり漫才を披露した。ここで言う「王道」とは、途中でそれぞれが役柄を演じるコントに入ったりせず、2人の言葉のやりとりだけで漫才を完結させる、という意味だ。しゃべくり漫才というスタイルにおいて、漫才師は「演技をしていないようで演技をしている」という状況に置かれる。これをうまく成立させるためには相当な技術を要する。
一番を決めなくてはいけない
この3本の漫才を見て、審査員たちは評価に迷った。それぞれが面白く、質が高く、観客にも十分にウケていたからだ。ほとんど差がないと思われるものの中から一番を決めなくてはいけない。ここが悩ましいところだ。
審査員の1人である博多大吉は、12月14日放送の『たまむすび』(TBSラジオ)の中でこのときのことを振り返っていた。彼は最終決戦の審査にあたって、自分の中に3つの基準を持っていたという。それは「いちばん客席からウケた」「いちばん客席にハマった(応援された)」「いちばん技術がすごかった」の3つである。この3つのうち2つ以上の条件を満たしていた芸人に票を投じる、と自分の中で決めていたのだ。
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