先日も、ある企業の若手営業と一緒に営業に行ったのですが、その後すぐにメールがきて、「堂薗さんのエレベータートークがすごく絶妙でした」「生意気ですけど、お客様の懐に入っていくスピードがさすがだと思いました」などと、こそばゆいようなフィードバックをくれました。「ぜひ今後も勉強させてください!」とまで言われたら、お世辞、社交辞令だとわかっていても、また一緒に仕事したいな、ご飯も食べたいなと思ってしまいます。
さらに、「彼はデキる営業になるな」とまで感じてしまいました。私はきっと彼から無理なお願いをされても、「仕方ないなぁ」と言いながら、受けてしまう可能性が高いと思いますし、何かあったら彼に声をかけてみようかなと思ってしまうでしょう。だって、可愛いヤツなんだもの!
「なんだ、簡単なことだ」と思うかもしれないけれど、意外とそういうことができない人って多いんですよ。必要ないと思っているのかもしれないですね。ちゃんと「ご馳走様でした」と言ったのだからとか、別れ際にお礼は伝えたのだからそれで十分であって、感じたことの共有や報告などは、仕事の本筋でもないし必要ない、と思ってしまうのかもしれない。
応援の気持ちから、仕事の手を止めている
上司はともかく、現場の先輩たちというのは、新人を迎えて育成するのに、損得を超えた感情を持っているものだと私は思うのです。早く一人前にして自分たちの業務負荷を減らしたい、とか、新人育成でなんらかの評価を得たい、という利己的な理由はそこまでなく、応援の気持ちから、仕事の手を止めて、後輩に仕事を教えてあげることが多いと思うのです。
そうした厚意に、新人たちはもっと感謝したほうがいいと私は思います。やって当然のことではないのです。新人指導のミッションを持っていたとしても、新人育成が評価に結び付くなんてことはまれだし、そんなことより、自分が教えられてきたことを伝授しながら、あなたがすくすく育っていくのを見たいだけなのです。そしてそれが何より嬉しい、という思いがあるのだと思います。
そうだとすれば、新人に求めている「可愛げ」というのは、唯一、先輩たちが求める見返りであり、モチベーションの源泉なのかもしれません。何かを教えてあげた後に、「やってみたら、こんな風にうまくいったんです! 先輩のおかげです」と顔を紅潮させて報告されたりしたら、もうイチコロです(笑)。一方で、風の噂で、「なんとかうまくいったらしいよ」などと聞くけれど、小さな報告さえないときは……。やっぱり「可愛げのないヤツ」となるでしょうし、「また教えてあげたい」と心から思えないかもしれない。失敗すればいい、なんて思わないけれど、徐々に心が離れていく、関心がなくなっていく、という感覚はあるかもしれないですね。
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