「可愛げがない」と言われる人に欠けた視点 そこには意外に深いメッセージがある

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私自身も新人時代からの先輩方にお目にかかると、「扱いづらくて、可愛げのないヤツだったよな」などと今でも言われ、苦笑されます。そして酒のさかなとして、わんさか恥ずかしいエピソードを掘り起こされ、からかわれ続けます。でも、個人的には、そう言われると、確かに恥ずかしいのですが、決して悪く言われているようには感じません。逆に「面倒だったけど、面白いヤツだった」と言われているようで、ちょっと認められたような気さえしてしまいます。勘違いも多々あるとは思いますが。

あなたはどうですか? もし私と同じ感覚があるなら、そのままのあなたでいいんじゃないかしら。「可愛げのないヤツ」と、愛をもって言ってくれているのなら、逆に「可愛いヤツ」と思ってくれている証拠なのかもしれないですよ?

私も、可愛がっている後輩が、生意気なことを言って、でもそれが的を射た発言でドキっとさせられたとき、「ホント、可愛げない言い方してさ~」といった風に言うことありますもん。そんな言い方をしながら、実は心の中では「やるな!」と思っている。つまり、「可愛げがないと言われること」と「可愛げがないと思われている」というのもまた違うことのような気がする、ということです。

「素直だな」と感じるとき

私の新人時代は遠い昔ですから、後輩たちのことを思い出してみます。「素直だな」と感じさせられたのは、やはり、何か指示をしたりアドバイスをしたりしたときに、それを「正しい」と信じて、なるだけそのとおりに実行しようと頑張っている姿を見たときでしょうか。正しいと信じるまでに、「なぜ、これが必要なのでしょうか」「こういうやり方ではどうでしょうか」というやり取りがあっても、素直ではないとは思わなかったです。納得した様子で「わかりました。やってみます」と言い、アドバイスに従っているのがわかれば、「素直だ」と感じました。

逆に「わかりました」と言っておきながら、自分の思うやり方に固執し、ひとりで頑張っているのを見たりすると、「頑固者め!」と感じて、SOSが出るまで放置したこともあります。納得するまでやり取りし、実践してみているのであれば、十分に素直。そのうえで、素直なだけでなく「可愛げがあるな」と思うのは、やってみてうまくいったときに、すぐに報告とお礼を伝えてくれたりする場合だったように思います。また教えてあげたくなりますもん。そして、問われてもいないのに、「最近、あれはどうなってる?」などと余計なおせっかいまで焼きたくなる。

つまり新人に求められる可愛げって、「また教えてあげたくなる」「育ててあげたい」といった気持ちにさせる要素なのではないかと思うのです。

私の場合は、たとえばご飯をご馳走して相談にのったり、営業に同行してサポートしてあげたりした後、お礼とともに「○○がとても印象に残りました」などと感想を伝えてくれたりすると、すぐに「可愛い~」となってしまいますね。

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