安倍首相は、自分を「少数派」と考えている 産経名物記者は、なぜ安倍首相を書いたのか

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私事で恐縮だが、40年近く前、小学校5、6年生のころの夏休みを時々振り返ることがある。当時、広島・長崎の両原爆記念日と終戦の日は登校日であり、教師から「平和教育」という名の反戦・反日教育を受けていた。

いかに先の大戦時の日本の国力は弱く、無謀で愚かな戦争だったか。日本兵は戦地でどんな残虐行為をしでかしたか。日本は戦争に負けたおかげで平和国家に生まれ変われてよかった──などと、典型的な日教組教育を施されていた。

また、各教室には学級文庫として、天皇を殺人者と呼び、これでもかと描かれる人間社会の悪意と憎悪が印象深い漫画『はだしのゲン』が備えられ、戦前・戦中の日本がいかに狂っていたか、日本がいかにひどい国かを意識に植え付けられた。

何気ない日常の中で、「尊敬する先生が言っていることは正しいに違いない」と受けとめ、先生が支持する社会党が一番いい政党なのだろうと思うようにもなった。

ただ、あまりに日本は悪かったとばかり教えられると、反発心も湧く。祖父たちはどうしてそんなバカな戦争をしたのか、本当に悪いことばかりしたのかと疑問に思い、歴史に関するさまざまな書物や戦記小説、時事問題の雑誌などを読みあさるようになった。

そして、やがて「平和教育は行き過ぎだ」と感じるようになり、中学校に進む頃にはいつのまにか日教組とはまったく逆の方向を向いていた。

中学校への通学時に肩にかける白いカバン(雑嚢)には、「北方領土返還」「反ソ反共」とマジックで大きく書き、日の丸も描き、ソ連に奪われた千島列島の全島を覚えて楽しむ変な少年へと育っていった。

最初に内定をくれた産経新聞に即決

『総理の誕生』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

その後、特に政治運動などをしたことはないが、大学時代は縁があってA級戦犯とされて処刑された元首相、広田弘毅がつくった東京都杉並区の学生寮で暮らすことになった。就職時には、最初に内定をくれた産経新聞に即決し、他紙は受験しなかった。

私にはどうもマイナー志向があるらしく、主流派に身を置きたいとか、寄らば大樹の陰だとか考えたことはこれまでない。

子供のころ観た「ウルトラマン」でも「仮面ライダー」でも、常に怪獣、怪人に肩入れした。陰影のない「みんなのヒーロー」や、類型化された「正義の味方」を応援する人たちの気が知れなかった。

九州・福岡の田舎町で、ヤクルト・スワローズの野球帽を被った少年は自分以外に見当たらなかった。当時、スワローズの試合はテレビで中継されていなかったが、ラジオの実況中継を聴いて熱狂した。読売ジャイアンツなどまったく眼中になかった(後に安倍もスワローズファンだったと知り驚いた)。

そんなあまのじゃくの気質は、今も変わっていないのだろう。

記者が匿名性の中に己を隠して仕事ができる時代は、もう終わりを告げた。自分自身とその考え、時には怒りや悲しみも隠すことなく、事実をあるがままに伝え、あるいは私はこう考えると論評してあとは読者の判断を仰ぐしかない。

そんなスタンスでこれまで記事を書いてきたし、これからもそうするつもりである。本書『総理の誕生』もまた、その考えに基づき執筆した。ご理解いただけばありがたい。

阿比留 瑠比 産経新聞 論説委員 兼 政治部編集委員

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あびる るい / Rui Abiru

産経新聞論説委員兼政治部編集委員。1966年3月生まれ、福岡県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。90年、産経新聞社入社。仙台総局、文化部、社会部を経て、98年から政治部。首相官邸、自由党、防衛庁(現防衛省)、自民党、外務省などを担当し、第一次安倍内閣、鳩山内閣、菅内閣、第二次以降の安倍内閣で首相官邸キャップを務める。98年7月に、まだ陣笠議員だった安倍晋三に密着取材して以来、一次政権崩壊後の失意の時代も常に身近で接し続け、数々の肉声を記録してきた数少ない記者の一人。趣味は読書(好きな作家は藤沢周平)とサイクリング

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