安倍首相は、自分を「少数派」と考えている 産経名物記者は、なぜ安倍首相を書いたのか

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私が1990年7月ごろ、初任地の仙台市で朝日新聞主催の夏の甲子園大会地区予選の取材をしていた際にはこんなことがあった。記者仲間で国歌斉唱時に立って歌ったのは私一人だけで、しかも他紙の記者に指差されて笑われたのである。

右翼だのバカだのと言われ白眼視される時代が続いた

阿比留 瑠比(あびる るい)/産経新聞論説委員兼政治部編集委員。1966年3月生まれ、福岡県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。90年、産経新聞社入社。仙台総局、文化部、社会部を経て、98年から政治部。首相官邸、自由党、防衛庁(現防衛省)、自民党、外務省などを担当し、第一次安倍内閣、鳩山内閣、菅内閣、第二次以降の安倍内閣で首相官邸キャップを務める。98年7月に、まだ陣笠議員だった安倍晋三に密着取材して以来、一次政権崩壊後の失意の時代も常に身近で接し続け、数々の肉声を記録してきた数少ない記者の一人。趣味は読書(好きな作家は藤沢周平)とサイクリング

1997年5月に社会部宮内庁担当記者として天皇、皇后両陛下のブラジルご訪問に同行取材した際に、現地の地方議会で国歌が演奏された時に起立したのも、記者では確か私一人だった。

1999年ごろ、当時の政党関連行事でやはり国歌を声に出して歌っていたところ、居合わせた民放女性記者から「勇気がありますね」と妙な感心をされたのも記憶に鮮明だ。

社会人としての当たり前の儀礼・ルールを守っただけでも、右翼だのバカだのと言われ白眼視される時代が続いた。

永田町もマスコミ界も、長年にわたり左派・リベラル派が支配権を握り、保守派を無視し、蔑視してきた。そんな中にあって安倍は自分たちがマイナーであることを知りつつ、メジャー側の防波堤にこつこつと穴をうがち、今の地位を築いたのだと考えている。

そして現在の自民党ですら、安倍と本当に政治的主張や思想を共有している議員はそう多くはないだろう。安倍の次にもっとリベラル派の首相が登場したら、さっさとそっちに付くノンポリ議員のほうが大勢だろうし、安倍はその不安定さを理解している。

第一次政権がついえた後、安倍たちが時間をかけて流れをつくったそれまでの自民党の保守路線は瞬く間に消え失せ、後任首相の福田康夫によるリベラル路線に染まっていった。

だからこそ、安倍は現在、その轍を踏まないように現在の保守の潮流を根付かせ、後継者にも引き継がせ、日本社会で確立させようと諸法制の整備など環境づくりに励んでいるようにも見える。

第一次政権時で掲げた「戦後レジームからの脱却」については、安倍は今は声高に唱えないだけで継続して取り組んでいる。安倍は保守主義者であると同時に、戦後体制のスクラップアンドビルドによってより良き社会を実現しようと試みているという点で、「革命的政治家」だとも言える。

いや、安倍という少数派でありながら権力の中心にいる政治家の存在そのものが、日本にとって革命的な意味を持っているのではないか。

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