ANAの躍進を支えた「名古屋鉄道」の先見の明 航空産業育成に尽力、いまも深いつながり
名鉄は、戦後の民間航空の発展にも大きく関わっている。
東京モノレールに先立つこと約10年、戦後復興がようやく軌道に乗り始めた1953年10月。政府は民間航空を再開することを目指し、大阪以東の国内線を日本ヘリコプター輸送、大阪以西を極東航空に託した。
日本ヘリコプター輸送はその前年となる1952年12月に設立されたが、この際に名鉄は名古屋を代表する運輸会社として出資要請を受けたため、当初からの出資者となっていた。この結果、1954年3月1日の東京~名古屋~大阪間の航路開設時には、名古屋地区の総代理店となった。名鉄はこの対応として本社内に航空課を開設するなど、その後の空路発展を視野に入れた対応をした。
しかし、当初は思うように業績が上がらず、空港関係者は名古屋市内の本社から、航空機の発着にあわせて社用車で名古屋空港まで往復していたという。そのような状況で赤字が積み重なることになり、計5回にわたり総額3500万円を融資した。さらに、その融資額に返済の目処がつかないことから、これを1957年3月に7万株の増資引当金としている。ここで、名鉄が日本ヘリコプター輸送の筆頭株主となった。
その日本ヘリコプター輸送は、1957年12月に全日本空輸と社名を変更する。いまも続くANAホールディングスだ。ANAのエアラインコード(2レターコード)が「NH」なのは、日本ヘリコプター輸送の時代の名残である。このような経緯から、ANAの筆頭株主は長らく名鉄だった。ちなみに、大阪以西を飛んでいた極東航空は、1958年3月にANAと合併している。
名古屋空港ビルの運営でも存在感
当時の名古屋空港は、2005年に中部国際空港が開港したことにより、いまは県営名古屋空港となっている。名古屋空港は第三セクターの「名古屋空港ビルディング」が管理運営していたが、同社はいまも指定管理者として、県営名古屋空港の運営を担当している。
名古屋空港ビルディングは、愛知県と名古屋市が計50%を出資し、残る50%を民間が出資する第三セクターで、設立当初から名鉄は24.8%と民間最大の出資をしている。これは、名古屋空港の空港ビルを官民共同で計画した愛知県に対して名古屋財界が関心を示さなかったため、当時の桑原愛知県知事が直々に名鉄へ頼み込んだところ、名鉄がこれからは空の時代が来ると判断し、民間の先頭に立った結果だという。
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