ANAの躍進を支えた「名古屋鉄道」の先見の明 航空産業育成に尽力、いまも深いつながり

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名鉄は名古屋空港ビルディングにも民間の先頭に立って出資した(写真:天空のジュピター / PIXTA)

さらに名鉄は、1960年3月には名古屋ローカルの中日本航空の経営にも参画し、名古屋空港を基点としたANA便を補完するコミューター航空にも進出した。しかし、運輸省のローカル航空会社整理統合の方針を受け、同社は1965年に定期路線をANAに譲った。定期路線撤退の際、ANAに路線が引き継がれたのも、名鉄の存在が大きかったことが想像される。中日本航空はその後、測量をはじめとした航空関連事業を展開し、さらに近年ではドクターヘリも手がけるようになっている。

2005年2月17日の中部国際空港開港により、名古屋圏の空港運営の主軸は、名鉄からトヨタ自動車に移った。名鉄はもちろん大株主であり、出資比率としてはトヨタ自動車、中部電力、JR東海などと同じだ。しかし、社長がトヨタ自動車出身となるなど、名古屋空港時代とは違った体制となった。

今も続くANAと中部財界のつながり

ANAについても、名鉄は今もって大株主ではあるものの、バブル崩壊後の苦難の時代に株を放出したため、すでに筆頭株主ではなくなっている。しかし、中部国際空港ではANAの存在感が圧倒的に大きく、特に国内線での発着本数は他社を圧倒している。ANAが名鉄を通じて、中部財界と長期にわたり密接につながってきた結果が、ここに結実しているとみて良いであろう。

ところで、名古屋圏には零戦を生んだ三菱重工業があり、同社が初の国産ジェット機として試験飛行を続けるMRJは名古屋空港を拠点にしている。また、米ボーイング製の新型旅客機787型には日本製部品が35%使われているというが、それらの部品も、中部国際空港から専用機「ドリームリフター」に載せられてボーイングに運ばれている。

このように、ものづくり愛知を象徴するような事象が名古屋圏でいま展開されている。名鉄が戦後に道筋をつけ、築いてきた名古屋圏の航空産業が、花開いた姿といえよう。

伊藤 博康 鉄道フォーラム代表

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いとう ひろやす / Hiroyasu Ito

1958年愛知県生まれ。大学卒業後に10年間のサラリーマン生活を経て、パソコン通信NIFTY-Serveで鉄道フォーラムの運営をするために脱サラ。1998年に(有)鉄道フォーラムを立ち上げて代表取締役に就任。2007年にニフティ(株)がフォーラムサービスから撤退したため、独自サーバを立ち上げて鉄道フォーラムのサービスを継続中。鉄道写真の撮影や執筆なども行う。

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