(中国編・最終話)喧嘩ができるほど仲がいい関係
工藤泰志
日中の民間対話は、その後北京に戻り、そして今年は北京五輪直後の9月に第四回目の対話を再び、東京で開催することになっている。私はその準備で東京と北京の間を今なお忙しく飛び回っている。
この間、日中の政府間関係は改善に向けて大きく動き出した。私たちがこの民間対話を生み出すために走り回った05年のあの反日デモに見られる深刻な状況と比べると、様変わりのように見える。
首脳会談は再開され、政府首脳の相互訪問も何度か実現し、今年春には胡錦涛国家主席も訪日している。
しかし、本当の関係構築はこれからだ、という思いが私にはある。政府間の関係改善は動き出しても、国民同士の直接の交流はまだあまりにも少なく、私たちが毎年行っている世論調査でも明らかなように、ほとんどの国民はお互いをよく知らず、自国のメディアを通したイメージしか持っていないからである。
私の中国や中国人への認識もかつては同じようなものだった。私自身も一般の日本人同様、当初はこの体制の異なる強大な国に漠然とあまり親近感を感じていなかった。ただ、私の中国への認識はこの5年間で大きく変わった。私は多くの中国人と何度も議論をし、たまには激しく喧嘩もした。そこまで真剣に中国と向かい合ったのは、この民間対話をどうしても成功させたかったからである。
かつて「東京-北京フォーラム」の趣意書を書くときに私はこんな言葉を書き込んだことがある。
「表面的な友好を繕うのではなく、考えは違ってもお互いを尊重し、本気で共通の課題の解決のために議論する。喧嘩ができるほど仲がいい。そんな関係を目指したい」
「喧嘩ができるほど仲がいい」。そんな関係が本当に可能かは当時はまだ想像もできなかったが、作業を共有する中でいつしか私は彼らを「仲間」と感じている自分に驚いたことがある。お互いを日本人や中国人であることを忘れるくらい、親しみを感じていたのだ。
もちろんそうした感情はすぐにできたわけではない。体制の違いからくる障害を感じたことも何度もある。が、彼らは中国政府から指示された話でもないのに、このフォーラム成功のために私と一緒になって政府関係者を説得し、作業でも手を抜かなかった。
私たちが「友好」という文字をこのフォーラムであえて使わないのは、日中間やアジアに多くの課題がありながら、それから目を反らし友好だけを主張しても、アジアの未来に向けて答えを出すことはできないと思うからである。
歴史に学ぶことは大事だが、過去だけにこだわるのではなく、未来に向かって新しい関係を作り出す。そのためには、民間で多様な真剣な議論が行われ、それらが国民に公開される。その積み重ねこそが大事なのである。
日中の民間対話は最も日中関係が深刻な時期からこれまで3回行われた。議論の内容は明らかに変わり始めている。
フォーラムを立ち上げた当初、私はよく、中国側は政府や党で決められた発言しかしないし、議論が噛み合わないだろう、と言われたものである。が、ほとんどの分科会では真剣な対話が行われ、その議論もお互いの立場の言い合いから、次第に本音の議論に移り始めている。
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